悪役商会 (プロレス)
悪役商会(あくやくしょうかい)は、1989年に全日本プロレスで結成されたユニット。2000年にプロレスリング・ノアに拠点を移し、男前軍(おとこまえぐん)と改称した。
概要
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ジャイアント馬場が年齢の問題などで一線を退き、ラッシャー木村らとファミリー軍団を結成。これに対抗するユニットとして結成され、主に休憩前にタッグマッチを行っていた。当時の全日本プロレスのキャッチフレーズでもあった﹁明るく楽しく激しいプロレス﹂の﹁明るく楽しく﹂の部分はこのタッグマッチが請け負っていたと言える。試合後には木村から悪役商会の面々に茶々を入れるマイクパフォーマンスが行われ、全日本名物となっていた。
初期には大熊元司が参加していたが、大熊死去後の1990年代後半にはジャイアント・キマラ︵2代目︶・菊地毅・泉田竜舞なども加わっていた。
2000年に全日本プロレスが分裂し、悪役商会の構成員であった渕正信のみ全日本に残留。プロレスリング・ノアにおいて永源遥を中心に男前軍と改称して活動を続ける。木村・永源を中心に﹁男前軍﹂対﹁色男軍︵旧ファミリー軍団︶﹂として﹁続・ファミ悪決戦﹂が行われていた。木村が病気による長期療養︵後に引退︶に入ると、永源と百田光雄とのシングルマッチが定期的に第1試合に組まれて﹁ファミ悪決戦﹂が継続されるようになり、100を超えるシングルマッチを行った。
永源は2006年3月に引退し、悪役商会︵およびその流れを組む男前軍︶は遂に消滅したと思われたが、SUWAが百田との抗争を開始している。しかしSUWAも引退し、ファミ悪決戦の流れを汲む戦いは消滅した。
マイティ井上はかつての抗争を振り返り﹁悪役商会だって言われていたんだけど、別に悪いことをしていた覚えはないよ﹂と語っている。
メンバー
編集- 準メンバー
- メンバー外の共闘選手
- アブドーラ・ザ・ブッチャー
- ジャイアント・キマラ(2代目)