戊午の密勅

1858年に孝明天皇が水戸藩に下賜した勅書

戊午の密勅(ぼごのみっちょく)は、日米修好通商条約の無勅許調印を受け、安政5年8月8日1858年9月14日)に孝明天皇水戸藩に幕政改革を指示する勅書(勅諚)を直接下賜した事件である。「戊午」は下賜された安政5年の干支が戊午(つちのえ・うま)であったことに由来し、「密勅」は正式な手続(関白九条尚忠の参内)を経ないままの下賜であったことによる(九条関白には武家伝奏から天皇の堅い意志である旨伝え、承認を受けた)。

経緯

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585711 ()

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使16西西西8485西 10[1]

内容

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  • 勅許なく日米修好通商条約安政五カ国条約)に調印したことへの呵責と、詳細な説明の要求。
  • 御三家および諸藩は幕府に協力して公武合体の実を成し、幕府は攘夷推進の幕政改革を遂行せよとの命令。
  • 上記2つの内容を水戸藩から諸藩に廻達せよという副書。

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勅諚全文

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調使調







  
             
             


 
             
「戊午秘記」(東京大学史料編纂所データベース)、大森金五郎「大日本全史 下巻」(冨山房、1922年発行)

水戸藩への影響

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5965宿

68271859923

12宿72宿7331860324

脚注

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注釈

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  1. ^ 勅諚全文でも「三卿」となっているが、御三卿の1つである清水徳川家は当時、当主不在が続き、屋敷・所領・家臣などは幕府に収公される明屋敷という休眠状態になっていた
  2. ^ 薩摩藩から兵200から300人が上京し、彦根城を落城させるというもので、伊地知正治からの伝聞として、長野主膳から井伊へ宛てた手紙に記載があるのみ

関連項目

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