文子
作者
編集構成・内容
編集『文子』は『漢書』芸文志では9篇、『隋書』経籍志では12巻とする。現行本は「道原・精誠・九守・符言・道徳・上徳・微明・自然・下徳・上仁・上義・上礼」の12篇から構成される。
内容は『老子道徳経』を敷衍したものだが、文章の大部分が『淮南子』と共通する。
影響
編集注釈
編集李暹(北魏の人かという)の『文子』注が『新唐書』[8]や晁公武『郡斎読書志』に見えるが、現存しない。
『道蔵』洞神部玉訣類には唐の徐霊府(黙希子)による『通玄真経注』、宋の朱並の注(7巻まで)、元の道士である杜道堅による『通玄真経纘義』(文子纘義)が収録されている。
現代の注釈書に王利器『文子疏義』(中華書局2009)がある。
偽書説
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上記のように班固がすでに仮託を疑い、唐の柳宗元は﹁辯文子﹂を書いて他の書からの剽窃が多く、往々に文義が合わない箇所があるのを問題にした[9]。清の姚際恒﹃古今偽書考﹄は柳宗元に賛成し、全部が偽書とは言えないが、おそらく李暹が加えた他書からの内容が混ざっているとする[10]。清末の陶方琦は現行の﹃文子﹄のほとんどが﹃淮南子﹄からの引用であることを指摘し、﹃漢書﹄のいう﹃文子﹄とは異なり、魏晋以降の人が﹃淮南子﹄を剽窃して作ったものとした[11]。
ところが、1973年に定県八角廊村︵現在の河北省定州市南城区街道八角廊村︶の前漢の中山懐王劉修の墓から﹃文子﹄の竹簡が発見され、その多くが現行本と一致したため、少なくとも魏晋以降の偽書とする説は成りたたなくなり、現在は再検討が行われている[12]。
脚注
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(一)^ ab﹃漢書﹄ 芸文志。"﹃文子﹄九篇︵老子弟子、与孔子並時、而称﹁周平王問﹂、似依託者也︶"。
(二)^ ab﹃史記﹄貨殖列伝・范蠡﹁昔者越王勾践困於会稽之上、乃用范蠡・計然。﹂﹃集解﹄﹁徐広曰‥計然者、范蠡之師也。名研。故諺曰‥研桑心算。駰案‥范子曰、計然者、葵丘濮上人。姓辛氏、字文子。其先晋国亡公子也。嘗南游于越、范蠡師事之。﹂なお﹃太平御覧﹄巻404・人事部45・師に引く司馬遷﹁素王妙論﹂にも同様の説明が見える。
(三)^ ﹃越絶書﹄
(四)^ ﹃郡斎読書志﹄道家類・李暹注文子十二巻﹁其伝曰‥姓辛氏、葵丘濮上人、号曰計然。范蠡師事之。本受業於老子、録其遺言、為十二伝云。﹂
(五)^ ﹃旧唐書﹄玄宗本紀下﹁︵開元︶二十九年春正月丁丑、制両京・諸州各置玄元皇帝廟並崇玄学、置生徒、令習﹃老子﹄﹃荘子﹄﹃列子﹄﹃文子﹄毎年准明経例考試。﹂
(六)^ ﹃旧唐書﹄玄宗本紀下﹁︵天宝元年︶荘子号為南華真人、文子号為通玄真人、列子号為沖虚真人、庚桑子号為洞虚真人。其四子所著書改為﹁真経﹂。﹂
(七)^ ﹁文子 入江南溟校﹂﹃和刻本諸子大成﹄10巻、汲古書院、1979年。ISBN 9784762920639。
(八)^ ﹃新唐書﹄芸文志三・神仙﹁李暹訓註﹃文子﹄十二巻。﹂
(九)^ 柳宗元﹁辯文子﹂﹃柳河東集﹄ 巻四。
(十)^ 姚際恒﹃古今偽書考﹄ 文子。
(11)^ 陶方琦﹃漢孳室文鈔﹄ 巻二・文子非古書説。
(12)^ 横手裕﹃道教の歴史﹄山川出版社、2015年、36頁。ISBN 9784634431362。
参考文献
編集- 『四庫全書総目提要』 巻146・子部56・道家類・文子十二巻 。