新藤凉子
日本の詩人 (1932-2022)
経歴
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1932年、鹿児島県生まれ[3][注釈1]。幼少期を旧満州︵現中国東北部︶で過ごした[5]。共立女子大学中退[3]。1952年︵昭和27年︶、東宝舞台に入社すると共に劇団東童に入団する[4]。1954年︵昭和29年︶、三木卓らと同人の詩誌﹃氾﹄に参加する[4]。その後、舞台衣装研究室を設立する[4]。文壇バーの経営もした[6]。1962年︵昭和37年︶、早稲田大学聴講生として学んだ後にヨーロッパに渡り[注釈2]、日本に帰国後は草野心平の推薦で﹃歴程﹄同人となる[4][3]。1964年︵昭和39年︶、原作の﹁めひょう﹂がフジテレビの連続ドラマで放映される[4]。
新川和江、吉原幸子らと女性詩誌﹃現代詩ラ・メール﹄(1983-1993)で活躍。
1986年︵昭和61年︶、詩集﹃薔薇ふみ﹄で高見順賞受賞[5]。2007年︵平成19年︶、﹃薔薇色のカモメ﹄で丸山薫賞受賞[5]。2013年︵平成25年︶、河津聖恵・三角みづ紀との連詩集﹃連詩 悪母島の魔術師﹄で藤村記念歴程賞受賞[6]。現代詩人会会員。
1990年︵平成2年︶、熱海市に転居する。
2022年︵令和4年︶10月7日、間質性肺炎のため静岡県熱海市の病院で死去[5][7]。90歳没。
人物
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●1950年代、新宿で文壇バー﹁とと﹂を経営し、客であった水上勉と同棲していた。水上が直木賞を受賞すると、別の女との結婚を勧めたという[8]。
●高橋順子と親しく、2005年には車谷長吉と三人で世界一周の船旅をした。
●檀一雄の小説﹃火宅の人﹄に出てくる実吉徳子︵お葉︶のモデルの一人。
著作
編集共著
編集脚注
編集注釈
編集出典
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(一)^ abc“﹁歴程﹂編集発行人で詩人の新藤凉子さん死去、90歳…詩集﹁薔薇ふみ﹂で高見順賞”. 読売新聞オンライン (2022年10月11日). 2023年12月25日閲覧。
(二)^ 車谷長吉﹃世界一周恐怖航海記﹄文春文庫、143p
(三)^ abcd"新藤凉子". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2023年12月25日閲覧。
(四)^ abcdef“丸山薫賞/平成19年度丸山薫賞決まる!”. 豊橋市. 2023年12月25日閲覧。
(五)^ abcd“詩人の新藤凉子さん死去”. 時事通信社 (2022年10月10日). 2023年12月25日閲覧。
(六)^ ab“新藤凉子さん死去 詩人、詩誌﹁歴程﹂編集発行人”. 東京新聞 (2022年10月12日). 2023年12月25日閲覧。
(七)^ “詩人の新藤凉子さん死去 ﹁歴程﹂編集発行人 日本現代詩人会元会長”. 朝日新聞社. (2022年10月10日) 2022年10月10日閲覧。
(八)^ 車谷長吉﹁哀悼・水上勉﹂﹃雲雀の巣を探した日﹄﹃車谷長吉全集 第3巻﹄