明尊
略歴
編集
幼いときに園城寺︵三井寺︶に入り、余慶から顕教・密教の2教を学び、慶祚からその奥義を伝授された。円満院に住して園城寺法務を兼ね僧正まで至っている。長暦2年︵1038年︶、天台座主に任じられると、円仁の流れを汲んだ宗徒がそれに激しく反発、翌長暦3年︵1039年︶には関白藤原頼通に強訴したことから、座主を辞さざるを得ず円仁派の教円が座主に就任した。その直後園城寺は延暦寺とは別に戒壇を設けることを奏上したが、山門派の反対にあい実現しなかった。寛徳2年︵1045年︶に園城寺長吏、永承3年︵1048年︶に天台座主に就任したが、山門派・寺門派の対立により3日で座主職を辞職せざるを得なくなった。天喜元年︵1053年︶、牛車を許され、翌天喜2年︵1054年︶には平等院検校に任じられている。明尊に帰依していた頼通は、康平3年︵1060年︶には明尊の90歳になったのを祝賀している。