村松茂清
生涯
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1608年頃に常陸国那珂郡村松村︵現在の茨城県那珂郡東海村︶で生まれ、水戸藩で和算家の平賀保秀に弟子入りする。播磨国赤穂藩︵現:兵庫県︶で藩主の浅野氏に仕えた。江戸で数学を指導している際に1639年に漢文で書かれた当時に於ける数学の教科書だった今村知商著の﹃堅亥録﹄を基にして1663年に全3巻からなる新しい数学の教科書である﹃算爼﹄を著した。
また、1663年に日本で初めて円周率を数学的に計算した数学者であり、最初は円に内接する正四角形、正八角形、正六十四角形の周の長さを計算していくと、やがて正32768角形にたどり着き、円周率を実際は小数第21桁まで算出したが、正しかった数値は小数第7桁までだった。
その後は1681年頃に和算家の関孝和が極限の考えを利用し、正131072角形を使って小数第11位まで算出した。
脚注
編集参考文献
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●彌永昌吉、中村誠太郎、三村征雄、湯川秀樹 著、相賀徹夫 編﹃万有百科大事典16物理・数学﹄︵初版︶小学館︿日本大百科全書﹀︵原著1976-4-20︶。
●“和算”. Yahoo!百科事典、日本大百科全書. 2012年9月25日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 『算俎』 - 国立国会図書館デジタル化資料。
- 村松茂清の円周率算出の追体験 - 数学共楽会。