東方福音キリスト教会
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信条と聖なる5柱
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信条
原ニカイア信条、正教会におけるニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条を認める。
●原ニカイア信条[1]
わたしたちは、見えるものと見えないものすべての創造者、
すべての主権を持ちなさる御父、唯一の神を信じます。
わたしたちは、唯一の主イエス・キリストを信じます。
主は、御父から生まれた神の独り子、御父の本質から生まれた方。
神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神。
造られずして生まれ、御父と本質が同一であって、
天地万物はすべて彼によって創造されました。
主は、わたしたちの為、またわたしたちの救いの為に降り、肉体を受け人となり、
苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇りました。
そして主は、生者と死者とをさばく為に来られます。
また、わたしたちは聖霊を信じます。
なお、主には存在しなかった時があるとか、生まれる以前は存在していなかったとか、
無から生まれたのであると宣言したりする者、
神の子が、異なる本質あるいは異なる実体より成ったもの、造られたもの、
変わり得るもの、変え得るものである、と宣言したりする者たちを、
公同なる使徒的教会は、呪うべきです。
●ニカイア・コンスタンティノポリス信条[1]
わたしたちは、唯一の神、全能の御父、
天地とすべての見えるもの見えないものの造り主を信じます。
また、この世の先に御父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。
主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られず、生まれ、御父と一体です。
すべてのものは主によって造られました。
主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り、
聖霊によって神の母おとめマリアから肉体を受け、人となり、
ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、死んで葬られ、
聖書にあるとおり三日目によみがえり、天に昇り、御父の右に座しておられます。
そして生者と死者とをさばくため、栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
また、主なる聖霊を信じます。
聖霊はいのちの与え主である方、御父から出られ、御父と子とともに拝まれ讃えられる方、
預言者によって語られた主です。
また使徒たちからの唯一の聖なる公会を信じます。
罪の赦しのための唯一の洗礼を信じ、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます。
アーメン。
●カルケドン信条[1]
わたしたちは、聖なる教父たちに従って、心を一つにして、次のように宣言します。
わたしたちの主イエス・キリストは唯一にして同一の子、
神性において完全であり、また同時に人間性においても完全なる方です。
真の神であり、また同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間でおられる方です。
神性において御父と同一の本質、
また同時に人間性においてはわたしたちと同一の本質であって、
罪のほかはすべてにおいてわたしたちと同じです。
神性においては、この世の先に御父から生まれ、
また同時に人間性においては、終わりの時代にわたしたちのため、
わたしたちの救いのために、神の母おとめマリアから生まれました。
彼は、唯一にして同一のキリスト、主、独り子であり、
二つの本性において混ぜ合わされることはなく、
変化することもなく、分割されることもなく、分離されることもない、
ということを信認されなければなりません。
なお、二つの本性の結合によってそれらの差異が取りさられることはなく、
むしろ各々の特性は保持されており、
唯一の位格、唯一の存在に共存しています。
彼は、二つの位格に分けられたり、分割されたりすることはありません。
唯一にして同一の独り子、神、ロゴス、イエス・キリストです。
これははじめから、預言者たちまた主イエス・キリスト御自身が大切に教え、
教父たちの信条がわたしたちに伝えたとおりです。
聖なる5柱を主張する[2]。
聖なる5柱とは、聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ、の5点で表される。
●聖書のみ
聖書66巻は無謬である。聖書の言葉、聖書の思想はともに、霊感に満ちている。
わたしたちの信仰と品行において、依り頼むべき唯一の道しるべとなるのは、
新約聖書のみであり、わたしたちは、新約聖書を重視する。
また旧約聖書は、新約聖書を証しする。
●信仰のみ
人は、善行ではなく信仰によってのみ義とされる。
わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。[3]
●恵みのみ
神は、人を神のかたちにつくられた。
人の忠順をとおして、神に栄光をもたらすためである。
しかし人が神に背いたときから、人は全的に堕落し、罪深い存在となった。
人間は、全的に堕落しているが、神の恵みはすべての人に注がれている。
人間は、キリストの十字架による贖いの恵みをとおして、救いの召しに応じることができる。
ただし、神が人間の自由意志を尊重しているため、人間は救おうとする神の恵みを拒むことができる。
また、正しい人間がその正しい行いをやめて、不正を行うならば、その人は滅ぼされる可能性がある。
●キリストのみ
人間の救いは、キリストのみによる。
わたしたちを救うことを確信されているのは、キリストのみである。
キリストは、必ず再臨する。
●神の栄光のみ
ただ、神にのみ栄光があれ。
すべてのみわざは、神の栄光に帰する。
教会の特徴
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教会の特徴について、概略から述べる。
●概略
教会は真理の基礎であり、キリストの体であるとして、﹁神のみことばに満ちた教会、真の教会のしるしをもつ、独立した教会﹂であるべきことを主張する。そして教会においては、牧師︵監督︶と奉仕者の名のもとに、2つの職を定めている[4][5]。礼典は、バプテスマ︵浸礼︶と、主の晩餐のみである。また、キリストの人間性、受肉の事実を想起し、イコン︵聖像︶の存在を認める。ただし偶像崇拝や聖人崇拝は一切認めない。なお、教会内において、女性はベールを被らなければならない。
●バプテスマについて
新生した信者のみ、バプテスマ︵浸礼︶を受ける。また、幼児洗礼を否定する。
●主の晩餐について
主の晩餐は、(1)パンとぶどう酒の入場、(2)新約聖書朗読と祈り、(3)牧師説教、(4)陪餐、(5)詩篇朗読と祈りにて構成される。パンとぶどう酒はパンそのもの、ぶどう酒そのものであるが、キリストの霊的な臨在がパンとぶどう酒とに伴っている。
また祈りの際には可能な限り、十字を描くべきである。その描き方としては、右手の親指と人差し指と中指の先を合わせ、薬指と小指を曲げた状態で、額・胸・右肩・左肩の順に指を動かして十字を画かなければならない。右手の親指と人差し指と中指は三位一体を、薬指と小指はキリストの神性と人性の両性を象徴する。
信徒が保持すべきルール
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東方福音キリスト教会は信徒に対し、以下のルールを守るよう、強く要求している。
(一)教会内で音楽を演奏してはいけない。
(二)異言で話をしてはいけない。カリスマ運動・ペンテコステ運動へ参加してはいけない。
(三)十分の一献金を認めてはいけない。
(四)左翼活動、反国家活動、および反日的な政治活動をしてはいけない。
各詳細は後述のとおりであるが、これらのルールを破ることは教会内において毒麦を生長させる可能性がある、として警告を発している。また、自己満足的な言動を自らの信仰のあり方と混同することを戒めている[2]。
なお、禁止事項を犯した者は、破門される。
●教会内における音楽演奏の廃止
﹁わたしたちは、ツヴィングリの見解と同じく、教会内での音楽をすべて廃止する。賛美歌も一切歌わない。
礼拝では、音楽を演奏するよりも、聖書を朗読するべきである。なお、教会音楽の伝統を否定することはしない。
また、わたしたちが娯楽・趣味で音楽を演奏したり聴いたりすることを否定するものでもない。﹂[2]
●異言で話すこと、およびカリスマ運動・ペンテコステ運動へ参加することの禁止
﹁聖書に記されている異言は、外国の言葉に関することを述べているのであって、
人間が理解できないことばを話したり、霊的・熱狂的なエクスタシーに浸ったりすることは、非聖書的である。
まして、異言を話せない信徒を見下したり、否定したりする者は、キリスト教徒でもない。
非聖書的な異言は、古くはモンタヌス主義に始まり、現代のペンテコステ運動に至るまで、女性からの発現が多く見られる。
これらは、悪魔による現象の発現であって、信じてはならない。関わってもならない。
婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい[6]。
また、カリスマの異言を適切に正しく理解できると称する者は、楽園から追放されたきっかけを知らないか、もしくは反キリストである。
女は蛇に答えた。﹁わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。﹂[7]
主なる神は女に向かって言われた。﹁何ということをしたのか。﹂女は答えた。﹁蛇がだましたので、食べてしまいました。﹂ [8]
異言、預言、神癒などの現象は、新約聖書の完成をもって、終焉している。また終末論に関しても、千年王国は霊的な象徴であって、人は最後の審判がいつ行われるかを予言できない。
イエスはお答えになった。﹁人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、﹃わたしがメシアだ﹄と言って、多くの人を惑わすだろう。﹂[9]
悪魔にだまされることはない、と言い切れる者は、すでに悪魔にだまされている。﹂[2]
●制度としての十分の一献金の禁止
﹁教会にとって、献金は必要なものである。
しかし、十分の一献金などを教会や牧師に対して強制的に納めさせるような制度は、認めてはならない。
献金の類は、個人の良心にしたがって、個人の判断で納めるべきである。
また献金は、神への捧げものであって、教会を守る牧師に対するものではない。
十分の一献金の名のもとに、牧師の所有欲が満たされるようなことは、あってはならない。
献金が、牧師あるいは牧師家族にとっての贅沢品に姿を変えたり、散財されていたりする場合、
その牧師および牧師家族は悪魔であり、キリスト者でもない。
マラキ書に言う、﹁神への偽り︵神からの盗み︶﹂を行っているのは、その牧師自身である。
民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。﹁律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。﹂イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。﹁確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。﹂[10]
強欲な牧師は、やもめの家を食い物にする律法学者と同じである。
そして、十分の一献金制度が旧約聖書に基づくものであるとか、私たちの信仰生活におけるチャレンジなのだ、と言う聖職者・信者がいれば、彼らに近づいてはならない。彼らは、金のやりとりを通して自己満足しているだけの、愚か者だからである。
また、もし十分の一献金制度が絶対に守るべき律法であるとして強制されるのであったとしても、十分の一献金を支払ってはならない。
このとき、信者にとって献金は未払金のようなものであり、負債である。強欲な牧師から、お金を借りているとみなされる。
したがって七年経過すれば、その負債は免除される。
なぜなら聖書に、
七年目ごとに負債を免除しなさい。負債免除のしかたは次のとおりである。だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除の布告をされたからである。外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。あなたの神、主は、あなたに嗣業として与える土地において、必ずあなたを祝福されるから、貧しい者はいなくなるが、そのために、あなたはあなたの神、主の御声に必ず聞き従い、今日あなたに命じるこの戒めをすべて忠実に守りなさい。[11]
とあるからである。﹂[2]
●左翼活動、反国家活動の禁止
﹁キリスト者は左翼思想と関わってはならない。支援してもならない。左翼思想は神の存在を憎む、悪魔の思想である。左翼思想に影響されて、平和主義や無抵抗主義を主張するのも、異端である。
わたしたちの信条に影響を与えない限り、自分の生まれた国を愛するべきである。
なぜなら、わたしたちの主が、わたしたちをこの国に遣わしてくださったからである。
国家、国旗、皇帝、国王の類は、神と同等の存在ではないし、崇拝してもいけないが、それらを敬重するこころは、当然もつべきである。敬重するこころをもてない者たちは、たとえ今、口ではキリストを信じていたとしても、いずれキリストと神の国に反旗を翻すことであろう。
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです[12]。
キリストの名を騙り聖書を捻じ曲げて、反国家的・反日的な政治活動しかできない教会は、悪魔の教会である。﹂[2]
出典・脚注
編集- ^ a b c 『東方福音キリスト教会信条集』、東方福音キリスト教会西村牧師編、2015年。
- ^ a b c d e f 『パンフレット:わたしたちの教会』、東方福音キリスト教会西村牧師著、2012年。
- ^ マルコによる福音書 12章 29~30節
- ^ 第1テモテ3:1-13
- ^ ただし、「奉仕者は牧師によって選任されるが、教会において奉仕者を選任しない場合もあり得る。」(『パンフレット:わたしたちの教会』、東方福音キリスト教会西村牧師著、2012年。)
- ^ コリントの信徒への手紙一 14章 34節
- ^ 創世記 03章 02節
- ^ 創世記 03章 13節
- ^ マタイによる福音書 24章 04~05節
- ^ ルカによる福音書 20章 45~47節、21章 01~04節
- ^ 申命記 15章 01~05節
- ^ ローマの信徒への手紙 13章 01節
関連項目
編集参考文献
編集- 『パンフレット:わたしたちの教会』、東方福音キリスト教会西村牧師著、2012年
- 『東方福音キリスト教会信条集』、東方福音キリスト教会西村牧師編、2015年