棚夏針手
日本の詩人
棚夏 針手(たなか しんしゅ[1]、たなか はりて[2]、1902年 - 没年不明)は、大正時代に活動し、日本におけるシュルレアリスム詩の先駆とされる日本の詩人[1][2][3]。
概要
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本名は、田中真寿といい、別の筆名として田中新珠も使っていた[1][2][3]。
東京出身で、中学中退後に家業の質屋業を営みながら、詩作に取り組んだ[1]。
1922年に文芸誌﹃明星﹄や﹃白孔雀﹄に作品が掲載され[1]、以降1929年までの間に、﹃青騎士﹄、﹃謝肉祭﹄[3]、﹃詩と音楽﹄[2]、﹃近代風景﹄[1]などの詩誌に関与して28篇の詩作品を残した[3]。
その作風は、外国からの影響によらずに、象徴主義からシュルレアリスムへと進んだ、独自のものであった[3]。
しかし、1930年代以降は活動が途絶え[3]、1950年以降は消息不明となった[1][2]。
1980年に、鶴岡善久が作品を集めて﹃棚夏針手詩集﹄を刊行し、再評価が進んだ[1][2][3][4]。