椋梨一雪
来歴
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井上敏幸﹁椋梨一雪年譜稿[1]﹂に拠る来歴は以下の通り。
1631年︵寛永8年︶京都に生まれる。1640年︵寛永17年︶父幸温が死去、寺院に身を置く。1653年︵承応2年︶、﹃滑稽太平記﹄巻4に松永貞徳追悼句が掲載され、これが一雪の句の初見とされる。1660年︵万治3年︶﹃歌林鋸屑集﹄出版。1663年︵寛文3年︶﹃俳諧茶杓竹追加幅紗物﹄で安原貞室を論難したほか、﹃貞徳俳諧記﹄︵服部一貞編︶を出版した。1665年︵寛文5年︶江戸に転住。1670年︵寛文10年︶﹃洗濯物付洗濯碪﹄刊行。1672年︵寛文12年︶﹃俳諧晴小袖﹄出版か。1675年︵延宝3年︶﹃沙金袋後集﹄出版。1676年︵延宝4年︶﹃言之羽織﹄﹃追加雨霽﹄出版。1684年︵貞享元年︶﹃古今犬著聞集﹄が成稿。本作をもとに、1696年︵元禄9年︶﹃日本武士鑑﹄が刊行された。1704年︵宝永元年︶﹃続著聞集﹄の執筆にかかるが、1706年︵宝永3年︶~1708年︵宝永5年︶の間に死去したものと推測される。存命中、数多くの俳書に作品が掲載された。