江坂徳蔵
日本の海軍軍人
経歴
編集
新潟県高田町︵のち高田市、現・上越市︶生まれ[2]。旧制高田中学︵現・新潟県立高田高等学校︶卒業後、海軍機関学校に入り、1911年︵明治44年︶卒業する︵16期︶[2]。戦艦﹁山城﹂機関長などを歴任し[3]、1927年︵昭和2年︶、海軍機関大佐に進級、第3戦隊、練習艦隊、第2艦隊、連合艦隊の各機関長を務め[3]、1933年︵昭和8年︶海軍機関少将に進級[1]、燃料廠平壌鉱業部長に就任し[1]、1936年︵昭和11年︶3月、予備役となった[1]。同年7月、郷里の高田市長に就任した[2]。市長在任中は市のガスを石炭ガスから天然ガスに切り替えた[4]。一方、議会に対し、速記録印刷廃止を提案、議員の反発を受けた[4]。1938年︵昭和13年︶8月﹁一身上の都合﹂により、市長を辞職[5]。その後は実業界に転じた[2]。戦後、公職追放となり[6]、1964年︵昭和39年︶に死去した。墓所は多磨霊園。
脚注
編集参考文献
編集- 『高田市史』第2巻 高田市史編集委員会/編 高田市 1958年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。