江村北海
生涯
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明石藩士であり母の兄にあたる河村家で生まれ、そこで養育された。はじめ学問には無関心だったが、北海の俳諧を見た梁田蛻巖に激励され勉学に専念。父の友人である丹後宮津藩の儒者・江村毅庵の養子となる。藩主・青山幸道は北海に吏才があることに気づき次第に重用する。宝暦8年︵1758年︶、美濃郡上藩に移封の際、病を理由に辞任を願ったが許されず郡上に同行する。宝暦13年︵1763年︶に許されて京都に帰ったが、その後も時々郡上に行き教授し、または藩の諮問に応じた。安永4年︵1775年︶に幸道が隠居したのを機会に致仕し、京都の室町に対梢館を建て隠居する。天明8年︵1788年︶2月2日死す。享年76。本圀寺に葬られる。道明寺天満宮に北海が撰した道明寺碑が現存する。
著書
編集- 『日本詩史』5巻
- 『日本詩選』15巻
- 『授業編』10巻
- 『北海詩鈔』8巻
- 『北海文鈔』3巻