法助
鎌倉時代中期の僧。仁和寺門跡
経歴
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嘉禎4年6月23日︵1238年8月4日︶、12歳で出家して京都仁和寺の道深法親王に学び、同年に東大寺戒壇院において満分戒を受ける。延応元年7月26日︵1239年8月26日︶、一身阿闍梨の宣下を受け、翌27日に准后宣下を受ける。寛元元年11月28日︵1244年1月9日︶、八大師御影を図し、翌年12月観音院において道深法親王より伝法灌頂を受ける。建長元年︵1249年︶、皇胤以外で初めて仁和寺第10世を継承して教説を講ずる。正嘉2年︵1258年︶、門跡の地位を辞して性助入道親王に譲り、乙訓郡開田院に隠退。開田准后・開田御室と号す。文永元年︵1264年︶8月、孔雀法を修す。弘安7年11月21日︵1284年12月29日︶、58歳で示寂した。
後深草院二条の随筆﹃とはずがたり﹄に登場する﹁有明の月﹂のモデルは、性助入道親王もしくはこの法助ではないかと考えられている。