淳熙
(淳煕から転送)
西暦等との対照表
編集淳熙 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
西暦 | 1174年 | 1175年 | 1176年 | 1177年 | 1178年 | 1179年 | 1180年 | 1181年 | 1182年 | 1183年 |
干支 | 甲午 | 乙未 | 丙申 | 丁酉 | 戊戌 | 己亥 | 庚子 | 辛丑 | 壬寅 | 癸卯 |
金 | 大定14 | 大定15 | 大定16 | 大定17 | 大定18 | 大定19 | 大定20 | 大定21 | 大定22 | 大定23 |
西夏 | 乾祐5 | 乾祐6 | 乾祐7 | 乾祐8 | 乾祐9 | 乾祐10 | 乾祐11 | 乾祐12 | 乾祐13 | 乾祐14 |
淳熙 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | ||||
西暦 | 1184年 | 1185年 | 1186年 | 1187年 | 1188年 | 1189年 | ||||
干支 | 甲辰 | 乙巳 | 丙午 | 丁未 | 戊申 | 己酉 | ||||
金 | 大定24 | 大定25 | 大定26 | 大定27 | 大定28 | 大定29 | ||||
西夏 | 乾祐15 | 乾祐16 | 乾祐17 | 乾祐18 | 乾祐19 | 乾祐20 |
出来事
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●乾道9年
●11月9日‥翌年より踰年改元の詔が下る。
●淳熙元年
●2月1日‥交趾の李天祚を安南国王に冊封する。
●2月16日‥虞允文死去。
●淳熙2年
●6月‥朱熹と陸九淵が理学の解釈をめぐって討論する︵鵝湖の会︶。
●閏9月‥荊湖・江西にて蠢動した茶寇が平定される。
●淳熙3年
●4月6日‥靖州の渓峒蛮が乱を起こす。
●9月13日‥軍政機構による官塩販売の利子取得を厳禁する詔勅が出る。
●12月‥蛮寇が黎州を急襲したが、すぐに逃げる。
●淳熙4年
●正月26日‥淳熙暦が施行される。
●2月18日‥荊湖・四川・二広の渓峒蛮を按撫し、辺境の撹乱を取締する詔勅が出る。
●淳熙5年
●正月6日‥程頤・王安石の学説もって人材を選ぶことを禁ずる。
●2月4日‥州県に丁税司が設置される。
●2月25日‥威州を襲った蛮寇が平定される。
●5月7日‥武学国子員が設置される。
●9月18日‥岳飛に﹁武穆﹂の諡が贈られる。
●淳熙6年
●2月13日‥武官の蔭補法を定める。
●5月18日‥郴州の渓峒蛮が反乱したが、このを按撫させる。
●12月3日‥﹃重修淳熙勅令格式﹄が公布される。
●淳熙7年
●3月18日‥南康軍の白鹿洞書院が再建される。
●4月22日‥黎州の五部落が侵寇する。
●10月‥五部落が帰順を求めると、互市を許す。
●淳熙8年
●3月1日‥﹃淳熙条法事類﹄が公布される。
●5月3日‥地方官に農桑を勧める。
●8月9日‥王淮が右丞相・枢密使となる。
●12月22日‥朱熹の社倉法が諸路にて施行される。
●淳熙9年
●7月‥唐仲友に対する朱熹の弾劾事件が起こる。
●8月2日‥文武の冗官を減らす。
●9月27日‥市舶司を通じて金銀の海外流出を禁ずる詔勅が出る。
●淳熙10年
●3月28日‥銓試の旧法を復し、雑文を試すことがなくなる。
●6月5日‥御史台が偽学の禁令を請ずる。
●淳熙11年
●正月11日‥宜州を襲った蛮寇が平定される。
●淳熙12年
●正月5日‥交趾からの塩の流入を禁ずる。
●正月8日‥四川制置使の留正が青羌の酋長を誘って殺す。
●4月23日‥西遼と西夏が金を挟撃する可能性に備える。
●6月4日‥﹃淳熙寛恤詔令﹄が公布される。
●淳熙13年
●9月2日‥会子の偽造犯や流通者を極刑に処す詔勅が出る。
●淳熙14年
●10月8日‥高宗が崩ずる。
●11月2日‥皇太子︵後の光宗︶に庶務の決裁を命ずる。
●淳熙15年
●5月4日‥宰相の王淮が罷免される。
●11月7日‥朱熹が﹃戊申封事﹄を上奏する。
●淳熙16年
●2月2日‥孝宗が退位する。
●11月14日‥光宗の即位により翌年から﹁紹熙﹂へ踰年改元の詔が下る。
関連項目
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前の元号 乾道 |
中国の元号 南宋 |
次の元号 紹熙 |