満洲映画協会

満州の企業
満州映画協会から転送)

満洲映画協会(まんしゅうえいがきょうかい)は、株式会社満洲映画協会法に基づき満洲国首都の新京特別市に設立された国策の映画会社。民間では満映の略称で親しまれ、同社の看板スターは李香蘭であった。日本映画界よりP.C.L映画の山梨稔、近藤伊代吉らが参加 1938年6月には旧日活多摩川撮影所所長 根岸寛一が理事として入社 同時にマキノ満男など数十名の製作スタッフを招聘する。その他、東方社の理事長を辞めた岡田桑三(日本デザイン界の大物)もいた。

株式会社満洲映画協会
満映撮影所
満映撮影所
種類 株式会社特殊会社
略称 満映
本社所在地 満洲国の旗 満洲国
新京特別市大同大街貳壹参號
本店所在地 新京特別市洪熙町602号(撮影所)
設立 1937年康徳4年)8月21日
事業内容 映画制作、輸出入含む映画の配給
代表者 理事長 金壁東(1937年-1939年)
理事長 甘粕正彦(1939年-1945年)
資本金 500万
主要株主 満洲国政府(50%)
南満洲鉄道株式会社(50%)
特記事項:株式会社満洲映画協会法(康徳4年8月14日勅令248号)に準じて設立、康徳12年(1945年)8月閉鎖。
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満映の撮影所

満映は映画の製作だけでなく、配給・映写業務もおこない各地で映画館の設立、巡回映写なども行った。配給エリアは満洲国内及び日本租界である。中華民国の配給会社は中華電影との合同映画を除いては満映の映画を取り扱わなかった。

理事

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13 2

特徴と風土

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満映スターたちのアルバム










終戦

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1945815退820


その後

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現在の満映撮影所(長影撮影所を経て、2011年より長影旧址博物館)

194510119491955

[1]

フィルモグラフィ

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日本映画データベースを参照[2]

1938年
1939年
1940年
1941年
1942年
1943年
1944年
1945年

注釈

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  1. ^ 満州映画協会の役割とその影響 - 第4章 日本敗戦後の満映 (大場さやか)
  2. ^ #外部リンク日本映画データベース、2010年1月31日閲覧。

関連項目

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関連文献

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  • 山口猛『幻のキネマ満映 甘粕正彦と活動屋群像』(平凡社、1989年/平凡社ライブラリー、2006年)
  • 山口猛ほか編『満州の記録 満映フィルムに映された満州』(集英社、1995年)
  • 山口猛『哀愁の満州映画 満州国に咲いた活動屋たちの世界』(三天書房、2000年)
  • 小林英夫『甘粕正彦と李香蘭 満映という舞台』(勉誠出版、2015年)
  • 岸富美子・聞き手石井妙子『満映秘史 栄華、崩壊、中国映画草創』(新版・角川新書、2022年)

外部リンク

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日本映画データベースから: