滄州(そうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から民国初年にかけて、現在の河北省滄州市および山東省浜州市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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517年熙平2年)、北魏により瀛州冀州の一部を分割して滄州が立てられた。滄州は浮陽郡に属する饒安浮陽高城章武の4県と楽陵郡に属する楽陵陽信厭次湿沃の4県と安徳郡に属する重合重平平昌の4県の合わせて3郡12県を管轄した[1]

隋代

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58666062607310[2]
隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
滄州 冀州 渤海郡
楽陵郡 浮陽郡 渤海郡 陽信県 楽陵県 饒安県
清池県 塩山県 南皮県
無棣県 滳河県 厭次県
蒲台県
陽信県 楽陵県 浮陽県 饒安県
高城県
南皮県

唐代

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61837427589[3]

宋代

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5[4]

511[5]

元代

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のとき、滄州は河間路に属し、清池・楽陵・南皮・塩山・西無棣の5県を管轄した[6]

明代以降

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3[7]

1729717319[8]

1912

脚注

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  1. ^ 魏書』地形志二上
  2. ^ 隋書』地理志中
  3. ^ 旧唐書』地理志二
  4. ^ 宋史』地理志二
  5. ^ 金史』地理志中
  6. ^ 元史』地理志一
  7. ^ 明史』地理志一
  8. ^ 清史稿』地理志一