まんが王
日本の雑誌
(漫画王から転送)
概要
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﹃冒険王﹄の増刊﹃漫画王﹄として1951年に4冊刊行され、1952年1月号より月刊誌として独立した。
﹃冒険王﹄が高学年向きの漫画を多く連載していたのに対し、当誌は低学年向けの漫画多く連載した。
1960年2月号から誌名を﹃まんが王﹄に変更するも、翌1961年4月号から﹃小学生画報﹄に改名、折しもその時期、秋田書店は兄弟誌として﹃中学生画報﹄という雑誌を創刊させているが、たった3冊のみの刊行でスピード休刊となった。
そして﹃小学生画報﹄も同年12月号で再び誌名を﹃まんが王﹄に戻している。
昭和40年代に入ると季刊誌﹁別冊まんが王﹂が刊行された。
しかしこの時期の、競合誌の相次ぐ休刊の流れには抗しえず、1971年6月号を最後に﹃冒険王﹄に合併する形で休刊を迎えた。
ギャグ漫画家として、赤塚不二夫﹁ナマちゃん﹂を育て、吾妻ひでおをデビューさせた功績がある。
掲載作品一覧
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