白金狐作戦(はっきんきつねさくせん、ドイツ語: Unternehmen Platinfuchs)とは、第二次世界大戦中の1941年6月に始まった、フィンランド領ペツァモからムルマンスクを攻略しようとしたドイツ軍の作戦。北極圏で、師団規模以上の戦闘が行われた数少ない事例のひとつ。ドイツ軍は、約25km前進したが、ソ連軍の激しい抵抗、不十分な補給、地形の困難さなどにより進撃は停止し、冬の始まる前の9月に、作戦は打ち切られた。

白金狐作戦
継続戦争第二次世界大戦
1941年6月29日 - 9月23日
場所ソ連、ムルマンスク州
結果 ソ連軍の勝利
衝突した勢力
ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
フィンランドの旗 フィンランド
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
指揮官
ナチス・ドイツの旗 エデュアルト・ディートル山岳兵大将 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦ワレリアン・フロロフ中将
部隊
ノルウェー駐留ドイツ軍山岳軍団 第14軍
戦力
第2山岳兵師団英語版
第3山岳兵師団英語版
フィンランド・イヴァロ国境警備大隊
第388歩兵連隊(8月より)
SS第9歩兵連隊(8月より)
27500人(作戦開始時)[1]
第14狙撃兵師団
第52狙撃兵師団
Polyarnyy師団
被害者数
10290人[2] 不明
独ソ戦

継続戦争

背景

編集

ムルマンスクは、暖流のおかげで高緯度にもかかわらず年間を通じて氷結しない不凍港で、ロシアの西側への窓口として重要であった。レニングラードとムルマンスクの間を結ぶムルマンスク鉄道が第一次大戦中に敷設され、ロシア本土と直結していた。しかし、ペツァモとムルマンスクの間は、軍事作戦に適した道路はなく、多くの場所は、樹木も生えないむき出しの永久凍土(ツンドラ)で、進撃には多大の困難が予想された。更に、ペツァモ地区のドイツ軍は、補給をノルウェー沿岸航路に頼っていたが、このルートは、イギリス海軍とソ連海軍の脅威にさらされていた。

作戦計画

編集

1940年のフィンランド・ソ連国境からムルマンスクまでは、約90kmである。ドイツ軍の作戦構想は、国境より二個山岳兵師団でムルマンスクに向かい、10月の冬の到来前に、北極狐作戦カンダラクシャ[3]を攻略後、北上してくるXXXVI軍団と協同で、ムルマンスクを攻略する、というものであった。

ディートルは、ペツァモからムルマンスクの間は、東西の道路は十分でなく軍事行動に適さないし、冬季は補給も出来ないので、カンダラクシャを攻略できなければ、たとえムルマンスクを攻略できたとしても部隊の生存もおぼつかないから、ペツァモ地区では守勢を維持し、主攻勢は、ケミヤルヴィ→サッラ→カンダラクシャの線で行うべきだと、5月に国防軍最高司令部(OKW)に意見書を出したが、これは通らなかった。

両軍の戦闘序列(1941年6月29日)

編集

ドイツ軍

編集
  • ノルウェー駐留軍(ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト上級大将)
    • 山岳軍団(エデュアルト・ディートル山岳兵大将)
      • 第2山岳兵師団
        • 136連隊
        • 137連隊
        • SS第9歩兵連隊(8月より)
      • 第3山岳兵師団
        • 138連隊
        • 139連隊
        • 第388歩兵連隊(8月より)
      • フィンランド・イヴァロ国境警備大隊
  • 第5航空艦隊
    • 作戦機 約60.[4]

ソ連軍

編集
  • 第14軍(ワレリアン・アレクサンドロビッチ・フロロフ中将)
    • 第14狙撃兵師団
    • 第52狙撃兵師団
    • Polyarnyy師団

戦いの推移

編集

62919402(136137)Titovka3(138139)ChaprMotovka90km11362[5]

630213610kmTitovkaOKWTitovka[6]329ChaprMotovkaOKW使OKW[7]

731377413621

76321.5km西12178

560350km沿

7132718

2148730OKW69

82485

OKW,62Polyarnyy89

982137SS9173.73388138139Kuirk沿2

(98)2173.73Kuirk23882西退退(99)2SS9225325013 (912)21.6km3914

9131112沿9156XXXVI

91831718Polyarnyy2[8]西退326西216西

結果

編集

西102906103194112

作戦失敗の原因

編集

Ziemke

11km

OKW

使沿使

OKW12沿

OKW(OKL)OKL

72XXXVI1

脚注

編集
  1. ^ Mann & Jörgensen (2002), p. 81
  2. ^ Lunde 2011, p. 111.
  3. ^ サッラのソ連への割譲後、サッラとカンダラクシャの間には鉄道が引かれていた。ケミヤルヴィとサッラの間の鉄道は1940年条約でフィンランドが建設することになっており建設中だった。
  4. ^ 銀狐作戦全域に対して
  5. ^ Lunde 2011, 1766.
  6. ^ Titovkaから南東約15km
  7. ^ Lunde 2011, 1784.
  8. ^ 水兵、囚人、労働キャンプの労働者からなる

参考文献

編集
  • Mann, Chris M. & Jörgensen, Christer (2002), Hitlers Arctic War , Hersham, UK: Ian Allan Publishing Ltd, ISBN 0-7110-2899-0
  • Ziemke, Earl F. (1960). The German northern theater of operations, 1940-1945. Washington: Headquarters, Department of the US Army 
  • Lunde. Henrik O. (2011). Finland's War of Choice. Havertown PA,USA: Casemate Publishers. ISBN 978-1-61200-037-4 

関連項目

編集