百家姓
概要
編集「百家姓」と呼ばれているが、現在の通行本は単姓444・複姓60の合計504の姓(564字)を載せている。最後の「百家姓終」を含めて568字になる。4字を1句として偶数句末で韻を踏んでいる。
歴史
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百家姓をいつ誰が作ったかはわかっていない。
南宋の陸游が詩﹁秋日郊居﹂の自注で﹁農家十月乃遣子入学、謂之冬学。所読雑字・百家姓之類、謂之村書。﹂と言っている。これが﹁百家姓﹂の語が文献に出る最古の例である。
おなじく南宋の王明清﹃玉照新志﹄では、百家姓の冒頭が﹁趙銭孫李﹂になっていることについて、宋の皇帝の姓である趙氏を最初に置き、次に呉越国の銭氏・銭弘俶の正妃の孫氏・南唐の李氏の順に並べたと考え、﹁百家姓﹂は宋初の杭州の人によるものと考えた[1]。
現存最古の百家姓のテキストは﹃事林広記﹄に載せる元代のもので、パスパ文字で音を記している[2]。テキストにより違いがあるが、至順本では単姓391︵四字一句なのに奇数なのは﹁越﹂1字が抜けているため︶、複姓20の合計411姓を記している。通行本とくらべると、単姓では﹁和穆蕭尹姚邵湛汪祁毛禹狄米貝明臧﹂の16字がなく、﹁温別荘晏柴瞿閻充﹂と﹁慕連茹習宦艾魚容﹂の順序が逆になっている、などの違いがあるものの、﹁蓋益桓公﹂までの内容は基本的に一致している。複姓は非常に少なく、韻も踏んでいない。
通行本では﹁蓋益桓公﹂までが単姓、それ以降は複姓を並べているものの、複姓の途中からまた単姓が混在するなど、末尾に行くほど配列が混乱している。あとから追加していったためにこのようになったものと思われる。
原文
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ここでは複姓を太字で示す。
趙銭孫李、周呉鄭王。馮陳褚衛、蔣沈韓楊。朱秦尤許、何呂施張。孔曹厳華、金魏陶姜。
戚謝鄒喩、柏水竇章。雲蘇潘葛、奚范彭郎。魯韋昌馬、苗鳳花方。兪任袁柳、酆鮑史唐。
費廉岑薛、雷賀倪湯。滕殷羅畢、郝鄔安常。楽于時傅、皮卞斉康。伍余元卜、顧孟平黄。
和穆蕭尹、姚邵湛汪。祁毛禹狄、米貝明臧。計伏成戴、談宋茅龐。熊紀舒屈、項祝董梁。
杜阮藍閔、席季麻強。賈路婁危、江童顔郭。梅盛林刁、鍾徐丘駱。高夏蔡田、樊胡凌霍。
虞万支柯、昝管盧莫。経房裘繆、干解応宗。丁宣賁鄧、郁単杭洪。包諸左石、崔吉鈕龔。
程嵆邢滑、裴陸栄翁。荀羊於恵、甄麹家封。芮羿儲靳、汲邴糜松。井段富巫、烏焦巴弓。
牧隗山谷、車侯宓蓬。全郗班仰、秋仲伊宮。甯仇欒暴、甘鈄厲戎。祖武符劉、景詹束龍。
葉幸司韶、郜黎薊薄。印宿白懐、蒲邰従鄂。索咸籍頼、卓藺屠蒙。池喬陰鬱、胥能蒼双。
聞莘党翟、譚貢労逄。姫申扶堵、冉宰酈雍。郤璩桑桂、濮牛寿通。辺扈燕冀、郟浦尚農。
温別荘晏、柴瞿閻充。慕連茹習、宦艾魚容。向古易慎、戈廖庾終。曁居衡歩、都耿満弘。
匡国文寇、広禄闕東。欧殳沃利、蔚越夔隆。師鞏庫聶、晁勾敖融。冷訾辛闞、那簡饒空。
曽毋沙乜、養鞠須豊。巣関蒯相、査后荊紅。游竺権逯、蓋益桓公。万俟司馬、上官欧陽。
夏侯諸葛、聞人東方。赫連皇甫、尉遅公羊。澹台公冶、宗政濮陽。淳于単于、太叔申屠。
公孫仲孫、軒轅令狐。鍾離宇文、長孫慕容。鮮于閭丘、司徒司空。亓官司寇、仉督子車。
顓孫端木、巫馬公西。漆雕楽正、壌駟公良。拓跋夾谷、宰父穀梁。晋楚閆法、汝鄢涂欽。
段干百里、東郭南門。呼延帰海、羊舌微生。岳帥緱亢、況後有琴。梁丘左丘、東門西門。
商牟佘佴、伯賞南宮。墨哈譙笪、年愛陽佟。第五言福、百家姓終。
●﹁第五言福﹂のあとが﹁竹曲麦過。百家姓続﹂となっているものがある。
●﹁党﹂は﹁黨﹂と書かれていることもある。どちらも姓として存在する。
●﹁庫﹂は﹁厙﹂とも。
●﹁宗政﹂は﹁宗正﹂とも。
後世への影響
編集脚注
編集- ^ 王明清『玉照新志』巻三「如市井間所印百家姓、明清嘗詳考之、似是両浙銭氏有国時、小民所著。何則其首云「趙銭孫李」、蓋銭氏奉正朔、趙乃本朝国姓、所以銭次之。孫乃忠懿之正妃、又其次則江南李氏。次句云「周呉鄭王」、皆武粛而下後妃、無可疑者。」
- ^ 『新編纂圖增類羣書類要事林廣記』 文芸類・蒙古字体 。
外部リンク
編集- 吉池孝一「パスパ文字百家姓諸版本に於ける姓の配列順序などについて」『KOTONOHA』第25巻、2004年12月。