The Adventure of the Second Stain5637190412190512819053(The Return of Sherlock Holmes) [2]
第二の汚点
著者 コナン・ドイル
発表年 1904年
出典 シャーロック・ホームズの帰還
依頼者 首相・ヨーロッパ担当相
発生年 1895年11月より前と思われるが、正確な時期は不明[1]
事件 外交文書紛失事件
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第二のしみ」と日本語訳しているものもある。

あらすじ

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便

二つの汚点

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この短編は発表から3年後の1907年(明治40年)、「二つの汚点(しみ)」のタイトルで翻訳され、『静岡民友新聞』に12回の分割で掲載された。シャーロック・ホームズシリーズの地方新聞への翻訳掲載としては唯一の例で、本作の日本語訳としては最も早いものであった。舞台はロンドンのままだが、名前はホームズが堀江、ワトスンが和藤、ハドスン夫人が夫人鳩子、レストレード警部が須土禮太郎などと日本名に変えられている。訳者は梅水郎と記されているものの、詳細は不明である[3]

他の正典に記されている「第二の汚点」事件

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冒頭部で「ホームズが(執筆現在)引退し、静かにしてほしいと言うので、「僧坊荘園」で終わりにしたかったが「第二の汚点」だけはいずれ発表と約束したので書く」という主旨の説明があり、これは「黄色い顔」と「海軍条約文書事件」の冒頭部の約束を指しているが、両者で説明があったものと「第二の汚点」本編とは下記のように若干ストーリーが異なる。

「黄色い顔」における「第二の汚点」
(「黄色い顔」の本編のように)ホームズの見立ては結果的に違っていたが、事件の真相が明らかになった。
「海軍条約文書事件」における「第二の汚点」
私が結婚して間もない7月に起きた事件。
いろいろ利害関係が絡むので公表は何年も先。
ホームズの分析的推理法が鮮やかに示された。
パリ警察のドビュークとダンツィヒの探偵フリッツ・フォン・ヴァルトバウムと対決して彼らに真相を実証して見せた。

ホームズの引退

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正典の冒頭に、ホームズが探偵業を引退し、養蜂と研究に専念したという記述がある。この引退場面そのものは描かれてないが、『シャーロック・ホームズの事件簿』の「這う男」(1903年9月初旬の事件)が引退直前の事件で、「ライオンのたてがみ」(1907年の7月末の事件)がすでに引退して引っ越した後だという説明がそれぞれの冒頭部にある。

脚注

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  1. ^ 冒頭で「何年かも何十年代かも言えない」と明記されているが、作中でホームズが挙げた有力な国際スパイの名前の中に、1895年11月に発生したブルースパーティントン設計書の事件に関与して逮捕された人物と思われるものがある。
  2. ^ ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ大百科事典』日暮雅通訳、河出書房新社、2002年、201頁
  3. ^ 本田彰「初期の翻訳」『シャーロック・ホームズ大事典』小林司・東山あかね編、東京堂出版、2001年、352-353頁