信国派
1356年頃から明治まで全国展開した刀工の流派
(筑前信国派から転送)
山城信国派
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初代信国は、元応2年︵1320年︶頃、了戒の弟子となり、数十年後、京五条坊門で﹁信國﹂と銘を切った[1]。延文3年︵1358年)、貞治3年︵1364年)の在銘刀などがある。二代目信国を経て、応永信国︵三代目信国︵源左衛門尉信国か︶や源式部丞信国など︶が活躍した。明徳元年︵1390年)熊野速玉神社奉納の金銅荘烏頸太刀の銘に﹁源信國 貞光 信清 信貞 貞次﹂も知られる[2]。
特徴
編集豊前信国派
編集筑前信国派
編集越後山村派
編集初代信国の弟と伝えられる信国源五郎が越後の豪族山村正信に仕え鍛刀を指導。山村正信の子安信が応永頃信国と改銘。