筠州
概要
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622年︵武徳5年︶、唐により高安県に設置された靖州を前身とする。靖州は高安・望蔡・華陽の3県を管轄した。624年︵武徳7年︶、靖州は筠州と改称された。625年︵武徳8年︶、筠州と望蔡・華陽の2県は廃止された。高安県は洪州に転属した[1]。
952年︵保大10年︶、南唐により洪州の高安・上高・清江・万載の4県を分割して筠州が置かれた[2]。
975年︵開宝8年︶、北宋により万載県が袁州に転属した。981年︵太平興国6年︶、高安県を分割して新昌県が置かれた。992年︵淳化3年︶、清江県が分離されて臨江軍が置かれた。筠州は高安・上高・新昌の3県を管轄した。1143年︵紹興13年︶、南宋により筠州は高安郡の郡号を受けた。1225年︵宝慶元年︶、理宗の諱を避けるため、筠州は瑞州と改称された。瑞州は江南西路に属し、高安・新昌・上高の3県を管轄した[3]。