綾瀬川山左エ門 (1876年生)
来歴
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1900年5月初土俵、恵まれた体格から有望視されたが、素行が悪く脱走し大阪相撲に加入した。1905年1月場所で新入幕。翌6月場所4日目には、前の場所まで3場所連続土付かずを続けていた大関大木戸の28連勝︵1分1預︶をとめる銀星をあげた。大木戸にはこの直後から19連勝︵2分︶があり、5場所連続での土付かずと47連勝を逃す黒星だったことになる。1906年5月場所、大木戸に負けただけの8勝1敗1休で優勝同点にあたる成績をあげ、翌場所で関脇に昇進。その後も三役から幕内上位の力を保った。
その後1910年6月場所で幕内5枚目格付出で東京相撲に帰参。だが、1勝も出来ずに途中休場。師匠から破門を言い渡された。その後は大道芸人になりインドに洋行したことがある。
主な成績
編集- 東京相撲 幕内通算1場所 0勝7敗3休
改名
編集藤ノ谷→荒嶋→綾瀬川 [2]
出典
編集- ^ https://web.archive.org/web/20010220061525/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19100603.htm
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709