脇屋主三
脇屋主三︵わきやしゅぞう wakiya syuzo︶は、いずれの団体にも属さず、個展︵千葉、新潟、群馬、東京︶と舞台美術︵群馬県民会館、前橋市民文化会館、国立劇場、群馬音楽センター等でのシャンソン・カンツォーネ・ジャズ・創作舞台︶を中心として活動する画家である[1]。
脇屋主三 | |
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国籍 |
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芸術分野 | 絵画、舞台美術 |
教育 | 群馬大学教育学部美術科 |
ウェブサイト | http://wakiart.com |
影響を受けた 芸術家 | ダビッド・アルファロ・シケイロス(師事) |
略歴
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千葉市に生まれ、現在の東吾妻町岩下に育つ。
1958年〜[2]
群馬大学教育学部美術科 清水刀根研究室、長崎大学教育学部美術科 小林研究室。
朝から晩まで絵画制作に没頭し、特にこの頃、デッサン力を磨く。
1964年〜[2]
群馬大学教育学部芸術科を卒業。この頃より舞台美術の仕事も始める。
D・Aシケイロス︵ダビッド・アルファロ・シケイロス︶に師事するためにメキシコに渡る。師の指導を受けるかたわら、ホテルメヒコの壁画制作に参加。日本人による岡本太郎の作品も同時進行。
日本人展︵メキシコオリンピック︶、個展︵メキシコ外務省文化局、日本大使館主催 サントリー共催︶。
制作を続けながらロサンゼルス・サンフランシスコ・ワシントン・ニューヨーク・ダラス・シカゴ・カナダ・中南米を訪れる。特にマヤ文明に興味をもち、グアテマラのチチカステナンゴ・ケツアルテナンゴ等の奥地へ入ることが多くなる。
1971年〜[2]
帰国、個展。1972年に油彩画の技術を学ぶためにヨーロッパに渡航し、A・フェルナンデスに宗教画を師事。定住しながらフランス・イギリス・スイス・イタリア・モロッコ等の美術館を巡る。この頃より風景画も描くようになる。
1974年〜
帰国後はいずれの団体にも属さず、個展︵千葉、新潟、群馬、東京︶と舞台美術︵群馬県民会館、前橋市民文化会館、国立劇場、群馬音楽センター等でのシャンソン・カンツォーネ・ジャズ・創作舞台︶で現在にいたる。
主な作品
編集- 日本の原風景を水彩画・油彩画で描く[3]
ギャラリー
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書籍
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作品集
編集- 脇屋主三の絵画とその世界(作品集、朝日印刷工業株式会社 制作・印刷)出版[4]
評論・エッセイ等
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関連施設・団体
編集- 「尾瀬の郷親善大使」に任命される
脚注・出典
編集参考文献
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関連項目
編集- ダビッド・アルファロ・シケイロス -師事