薪水給与令
薪水給与令(しんすいきゅうよれい)とは、江戸時代後期に江戸幕府が打ち出した外国船に対して飲料水・燃料の給与を認める法令である。
概要
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19世紀初頭、ロシア帝国のニコライ・レザノフをはじめ[1]、外国船が日本に通商を求めて来航するようになった。そこで徳川家斉統治下の幕府は文化3年︵1806年︶に﹁文化の薪水給与令﹂を出し、穏便に出国させる方向性を打ち出すこととなった。だが、翌年の文化露寇︵ぶんかろこう︶を受けてロシア船打払令が出され[2]、わずか1年で撤回された[3]。文政8年︵1825年︶には反動的な異国船打払令が打ち出されるものの、モリソン号事件を契機に批判が高まった上に、天保11年︵1840年︶のアヘン戦争における清の劣勢に驚愕した江戸幕府は、政策を転換し、天保13年︵1842年︶には遭難した船に限り給与を認める﹁天保の薪水給与令﹂を発令した[4]。
脚注
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(一)^ “レザノフとは”. コトバンク. 朝日新聞. 2021年1月5日閲覧。
(二)^ “[https://adeac.jp/hirosaki-lib/text-list/d100020/ht040980/?Word=%E5%A5%89%E8%A1%8C 弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
異国船打払令の発令と津軽弘前藩]”. adeac.jp. ADEAC︵アデアック︶‥デジタルアーカイブシステム. 2021年1月5日閲覧。
(三)^ “︻128︼露寇、ロシアからの武力攻撃で≫﹃異国船打払令﹄から﹃薪水給与令﹄へ”. 開国の父 老中・松平忠固史. 2021年1月5日閲覧。
(四)^ “薪水給与令とは”. コトバンク. 朝日新聞. 2021年1月5日閲覧。