藤原伊行
平安時代後期の貴族・能書家。藤原北家世尊寺家。従五位上・宮内少輔。世尊寺家6代。 子に藤原行家、尊円、大夫局。
藤原伊行 | |
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時代 | 平安時代後期 |
生誕 | 保延5年(1139年)? |
死没 | 安元元年(1175年)? |
官位 | 従五位上、宮内少輔 |
主君 | 近衛天皇→後白河天皇→二条天皇→六条天皇 |
氏族 | 藤原北家世尊寺家 |
父母 | 父:藤原定信 |
兄弟 | 伊行、定行、信覚、増意、女子 |
妻 | 夕霧(大神基政の娘) |
子 | 伊経、藤原頼実室、建礼門院右京大夫、行家、尊円、大夫局、藤原光綱室 |
経歴
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仁平3年︵1153年︶知足院堂供養の願文を清書しており、平治元年︵1159年︶と仁安元年︵1166年︶には大嘗会の悠紀主基︵ゆきすき︶屏風の色紙形の筆者に選ばれている。現存する日本最古の書論書﹃夜鶴庭訓抄﹄を残した。また最も古い﹃源氏物語﹄の注釈書である﹃源氏釈﹄を著した。
また、歴代大臣の上表文の清書にも携わっており、藤原頼長の内覧辞任の上表の際に1字分脱字を冒して傍らに補ったことを頼長から責められた伊行は﹁1・2文字の脱字は書き入れ、3字以上はそのままにするのが﹃父祖所伝之故実﹄である﹂と主張して頼長を黙らせたという[1]。また、世尊寺家の記録では安元元年︵1175年︶に没したとされているが、藤原基房の上表の際に仁安3年︵1168年︶の2度目の上表文は伊行が清書しておきながら、翌嘉応元年︵1169年︶の3度目のものは子・伊経が行っているため、この間に死去したとする説もある[2]。
書跡に﹁戊辰切﹂﹁葦手下絵和漢朗詠集﹂がある。また、箏にも巧みであったという。
系譜
編集脚注
編集出典
編集- 春名好重「藤原伊行」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)
- 宮崎肇「中世書流の成立 -世尊寺家と世尊寺流-」(所収:鎌倉遺文研究会 編『鎌倉遺文研究3 鎌倉期社会と史料論』(東京堂出版、2002年) ISBN 978-4-490-20469-8)
関連項目
編集- 児玉惟行 - 一部の系図で藤原伊行と同一視しているが、後世の創作である。