表銀座

北アルプスの中房温泉から槍ヶ岳へ至る登山コース




表銀座縦走コースの経路

編集
 
燕岳ハイマツ帯に生息するライチョウ

23[1][2][1]

 -  -  -  -  -  -  -  - 西西 -  -  -  - 

[3]

小林喜作と喜作新道

編集

小林喜作

編集

こばやし きさく


小林 喜作
 
小林喜作のレリーフ
(喜作新道の大天井岳北側の切通岩)
生誕 1875年????
長野県南安曇郡西穂高村(現在の安曇野市)牧[4]
死没 1923年
黒部峡谷の棒小屋沢の猟小屋[5]
死因 雪崩による窒息死
記念碑 喜作新道のレリーフ
国籍   日本
職業 猟師カモシカクマ)・山案内人・殺生ヒュッテの経営管理
著名な実績 喜作新道の開設
活動拠点 北アルプスの山中
子供 一男
テンプレートを表示

18758西17[6][4][7][8]1917619209[4]19211019201922[9][6]191877寿西[10]

喜作新道による効果

編集

喜作新道の開設以前の槍ヶ岳への登頂ルートは、中房温泉を起点とした4日を要するルートであった。

  • 中房温泉 - 合戦尾根 - 大天井岳 - 東大天井岳 - 二ノ俣尾根 - 二ノ俣谷 - 槍沢 - 槍ヶ岳

1919年7月27日に山田利一が、横通岳と常念岳との鞍部にある常念坊乗越小屋(現常念小屋)を開業させると、常念乗越から一ノ俣谷から中山乗越を経て二ノ俣に至るルートが加わった。1920年秋に喜作新道が開設されると、中房温泉から槍ヶ岳へは健脚者なら1日程度で到達することも可能となり人の流れが大きく変わった。これに伴い、ルートからはずれた常念坊乗越小屋や槍沢小屋の利用者は減少することになった[11]。表銀座は訪れる利用者が増え銀座の名の通り賑やかな槍ヶ岳へのメインの登頂ルートとなり、この経路上の山小屋も賑わった[12]

その後の槍ヶ岳へのルート

編集

1924[13][14]

表銀座の山々

編集

表銀座のルート上及び周辺の主な山は以下である[15]

山容 山名 標高[16]
(m)
三角点等級
基準点名[17]
中房温泉からの
方角と距離(km)
備考
  燕岳 2,762.85  二等
「燕岳」
 西北西 3.3 [18]
日本二百名山
  大天井岳 2,921.91  三等
「天章山」
 南西 5.3 常念山脈の最高峰
日本二百名山
  赤岩岳 2,768.7  三等
「筆波美」
 南西 8.0
  西岳 2,758  南西 8.8
  槍ヶ岳 3,180  西南西 10.7 日本百名山

表銀座の山小屋

編集

表銀座の登山ルート上に以下の山小屋があり、いくつかの山小屋にはキャンプ指定地が併設されている[15][19]。稜線上に水場はなく、山小屋で水を入手することができる。

画像 名称 所在地 標高
(m)
中房温泉からの
方角と距離(km)
収容
人数
キャンプ
指定地
備考
  合戦小屋 合戦尾根 2,380  西 0.9  なし 荷揚げ用ケーブル
休憩所・売店のみ
  燕山荘 合戦尾根の頂上 2,700  西 1.8 600  30張 1921年開業
  大天荘 大天井岳山頂
直下南
2,850  南西 5.2 200  40張 安曇野市
  大天井ヒュッテ 大天井岳直下西 2,650  南西 5.8 100  なし 1957年開業
  ヒュッテ西岳 西岳直下南 2,680  南西 8.9 70  30張 1923年開業
  ヒュッテ大槍 東鎌尾根・雷鳥平 2,870  南西 10.4 100  なし 1922年開業
  槍ヶ岳山荘 槍ヶ岳山頂直下
南側の肩
3,060  西南西 10.9 650  30張 1926年開業

表銀座の風景

編集

合戦尾根の頂上の燕山荘から先は、大部分で槍ヶ岳を眺めながらの稜線歩きとなる。

     
燕岳から延びる表銀座
大天井岳から望む
槍ヶ岳へと延びる表銀座
大天井岳から望む
槍ヶ岳の東鎌尾根
西岳から望む

脚注

編集

参考文献

編集

19906ISBN 4808303744 

19876ISBN 4635170225 

︿20004ISBN 4-635-01319-7 

寿200411ISBN 4635885917 

200510ISBN 4635178145 

20075ISBN 9784635922463 

︿ 720085ISBN 9784635013512 

20111便2011201012ASIN B004DPEH6G 

 ︿ 201120113ISBN 9784398757777 

関連項目

編集

外部リンク

編集