観音寺 (鈴鹿市高塚町)
三重県鈴鹿市高塚町にある寺院
観音寺(かんのんじ)は、三重県鈴鹿市高塚町にある、真言宗御室派の仏教寺院。
観音寺 | |
---|---|
所在地 | 三重県鈴鹿市高塚町1777 |
位置 | 北緯34度54分10秒 東経136度30分56秒 / 北緯34.90278度 東経136.51556度座標: 北緯34度54分10秒 東経136度30分56秒 / 北緯34.90278度 東経136.51556度 |
山号 | 高神山 |
宗旨 | 古義真言宗 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 1087年 |
開基 | 法陵 |
中興年 | 1633年 |
中興 | 順海 |
正式名 | 高神山観音寺 |
別称 | 荒神山観音寺 |
札所等 |
三重四国八十八箇所 22番札所 伊勢西国三十三所観音霊場 24番札所 伊勢七福神 寿老人 |
法人番号 | 8190005004136 |
概要
編集歴史
編集
当山は、弘仁3年︵812年︶弘法大師が、日本武尊の神霊を仏像として祀り、神事山︵こうじやま︶と称したのが始まりと伝えられる。
その後寛治元年︵1087年︶、大和国の律師・法陵が、神事山の観音大士のお告げにより、当地の檜の大樹の下に、十一面観音像を見出し、堂宇を建立し安置したのが創建とされる。
創建時は、紅葉山高宮寺と呼ばれ、加佐登神社周辺にあったとされる慈悲山寺︵廃寺︶の末寺であったという。
中世に衰退するが、寛永10年︵1633年︶、伊勢神宮参拝の途上で失明した奥州出羽の行者・荒沢順海が、当寺に祈願したところ開眼全癒したことからここに留まり、異母姉である春日局︵徳川家光の乳母︶の支援を得て再興した。春日局は上洛した際に参拝し、鐘楼の梵鐘と仏像5体を寄進している。
慈悲山寺が衰えたため、元禄4年︵1691年︶には高野山の末寺となり、高野山の一字をうけて高神山へ改称。
寛保3年︵1793年︶には僧・宥信が現本堂を建立、安永4年︵1775年︶には僧・光瑞により奥の院が建立され黒観音と三宝荒神が安置された。
慶応2年︵1866年︶、当寺裏山で起こった神戸長吉と安濃徳との縄張り争いは﹁血煙荒神山﹂[1]として講談や浪曲などで取り上げられ、浪曲師・広沢虎造は喧嘩で憤死した吉良の仁吉の碑を建立している。
年中行事
編集所在地
編集- 三重県鈴鹿市高塚町1777
交通アクセス
編集周辺情報
編集脚注
編集参考文献
編集- 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会
- 『鈴鹿市史』(鈴鹿市教育委員会編纂)