謝肇淛
1567-1624, 明の文人・官人。字は在杭。
謝 肇淛︵しゃ ちょうせい[1][2][3]、しゃ ちょうせつ[4][5]、拼音‥Xiè Zhào-zhè、1567年 - 1624年︶は、明代の文人・官人。字は在杭。杭州府銭塘県の出身[6]。本貫は福州府長楽県。
謝肇淛 | |
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生誕 |
1567年(隆慶元年) 杭州府銭塘県 |
死没 |
1624年(天啓4年) 袁州府萍郷県 |
職業 | 文人 |
生涯
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1567年︵隆慶元年︶に生まれた。若い時から徐熥・徐𤊹・曹学佺等と結社を作った。1592年︵万暦20年︶に壬辰科の進士となり、湖州府推官、東昌府推官、南京刑部主事、兵部郎中、工部屯田司員外郎を経て、1621年に広西按察使に任じられた。官位は、広西右布政使に至った[7]。
謝肇淛はかつて詔によって、河道の治水を命じられ1年で完成させた。あわせて、その経験を﹃北河紀略﹄に記した。彼は袁宏道から﹃金瓶梅﹄を借りている[8]。
1624年︵天啓4年︶に亡くなった。彼の撰した﹃五雑組﹄︵全16巻︶があり、そこには、多く風物や掌故が記されている[9]。その他に、﹃文海披沙﹄・﹃文海披沙摘録﹄等を著している。
注釈
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(一)^ 諸橋轍次﹃大漢和辞典﹄10巻568頁。﹁シャ テウセイ﹂。淛の音は﹁セイ﹂と﹁セツ・セチ﹂の両方がある。
(二)^ 今西凱夫︵2016年︶﹁謝肇淛﹂﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄小学館、コトバンク。2022年2月1日閲覧。
(三)^ ﹁謝肇せい﹂﹃ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典﹄、コトバンク。2022年2月1日閲覧。
(四)^ 入矢義高﹁五雑組﹂﹃世界大百科事典﹄平凡社。ジャパンナレッジ。2022年2月1日閲覧。
(五)^ 岩城秀夫 訳注﹃五雑組1﹄平凡社︿東洋文庫﹀、1996年、5頁。ジャパンナレッジ。2022年2月1日閲覧。
(六)^ 謝肇淛任職聊城考略
(七)^ ﹃明史﹄巻二百八十六‥閩中詩文,自林鴻、高棅後,閲百餘年,善夫継之。迨萬暦中年,曹学佺、徐𤊹輩継起,謝肇淛、鄧原岳和之,風雅復振焉。……肇淛,字在杭。萬暦三十年進士。官工部郎中,視河張秋,作﹃北河紀略﹄,具載河流原委及歴代治河利病。終廣西右布政使。
(八)^ 袁宏道﹃与謝在杭書﹄‥“仁兄近況何似?﹃金瓶梅﹄料已成誦,何久不見還也?”
(九)^ 魯迅‥﹃中国小説史略﹄第十四篇元明傳来之講史︵上︶