体当りマンハント旅行記
(豊原路子の体当たりマンハント旅行から転送)
略歴・概要
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満25歳を迎える1958年︵昭和33年︶に﹁家嶋芙美子﹂名義で発表した処女作﹃銀座のエロス﹄︵東京ライフ社︶、 ﹁豊原路子﹂と改名して翌1959年︵昭和34年︶に発表した﹃マンハント﹄︵朱雀社︶以来、﹃体当たり男性論﹄︵第二書房、1960年︶、そして本作と、当時豊原は、年1作のペースで単行本を上梓していた[6]。本作は、香港・マカオへの旅行をテーマにしたものである[2]。
その後、アメリカ合衆国等への旅行をテーマにした﹃出たとこ勝負 私の世界マンユウ記﹄︵東京文芸社︶を1965年︵昭和40年︶に発表、第二書房の伊藤文學が立ち上げた新書シリーズ﹁ナイト・ブックス﹂に同年、﹃体当たり男性論﹄とともに再録されるにあたり、﹃豊原路子の体当りマンハント旅行﹄と改題した[2]。
ビブリオグラフィ
編集映画
編集豊原路子の体当りマンハント旅行 | |
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監督 | 糸文弘 |
原作 | 豊原路子 |
出演者 | 豊原路子 |
製作会社 | オスカープロ |
公開 | 1966年3月 |
上映時間 | 73分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
﹃豊原路子の体当りマンハント旅行﹄︵とよはらみちこのたいあたりマンハントりょこう︶は、豊原路子の発表した同名の紀行文を原作として、1966年︵昭和41年︶に糸文弘が監督しオスカープロが製作した日本の長篇劇映画である[4][5]。豊原本人が主演した[4][5][7]。当時の﹁映画倫理管理委員会﹂︵新映倫、現在の映画倫理委員会︶は本作を成人映画に指定し、18歳未満の鑑賞を制限した[4]。映倫審査時のタイトルは﹃体当りマンハント旅行﹄[4]。
香港・マカオを舞台にした原作と異なり、横浜、静岡、浜松、京都、大阪、神戸でロケーション撮影を行い、同作には作家の田中小実昌も出演している[7]。田中の出番は静岡ロケで終了のはずだったが、クランクアップまで撮影に同行したという[7]。製作者︵出資者︶は、京都・千本中立売にある千中ミュージック︵かつての千中劇場︶の社長で、大阪のストリップ劇場の社長も製作に協力した[7]。ストリップ演出家の深井俊彦も本作の製作に関わったという[7]。
2012年︵平成24年︶6月現在、配給元が不明であり、東京国立近代美術館フィルムセンターにも本作の上映用プリントは所蔵されておらず、現存の確認が出来ていない作品である[8]。
キャスト
編集作品データ・スタッフ
編集脚注
編集- ^ a b c 豊原路子 体当りマンハント旅行記、国立国会図書館、2012年6月22日閲覧。
- ^ a b c d 『豊原路子の体当りマンハント旅行』、奥付。
- ^ 豊原路子の体当たりマンハント旅行 表紙、太陽野郎、2012年6月22日閲覧。
- ^ a b c d e f 体当りマンハント旅行、日本映画データベース、2012年6月22日閲覧。
- ^ a b c d e 『映画年鑑 1967』、p.331.
- ^ 豊原路子、家嶋芙美子、国立国会図書館、2012年6月22日閲覧。
- ^ a b c d e 山下、p.47.
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月22日閲覧。
- ^ 糸文弘、日本映画データベース、2012年6月22日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 書籍
- 体当りマンハント旅行記 - 国立情報学研究所
- 映画