越来城
越来城 (沖縄県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 15世紀(推定) |
主な城主 |
尚泰久王(第一尚氏) 尚宣威王(第二尚氏) |
遺構 | 掘立柱の跡 |
位置 | 北緯26度20分24.856秒 東経127度48分47.368秒 / 北緯26.34023778度 東経127.81315778度 |
越来王子
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琉球王朝時代、越来城を居城とする王子は﹁越来王子﹂と称された。
琉球を統一して三山時代を終わらせた第一尚氏の尚巴志王は、越来間切を七男の尚泰久に与え、越来城に入った泰久は越来王子と称し、護佐丸の娘を正室に迎えたが、後に尚泰久王として1454年に琉球国王となり首里城に移った[2][3]。
第二尚氏の尚円王︵在位‥1469年 - 1476年︶の王弟尚宣威は、兄が即位すると越来城に入り、越来王子と称した。兄王の死後、宣威は即位して尚宣威王︵在位‥1477年︶となったものの、すぐに退位して、越来に戻って隠棲した[4]。
第二尚氏の尚真王︵在位‥1477年 - 1526年︶の第四王子朝福も越来王子と称した。
現在
編集脚注
編集- 義富弘『しまぬゆ 1 ―1609年、奄美・琉球侵略』南方新社、2007年4月15日。