趙 飛燕(ちょう ひえん)は、前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。

趙皇后
前漢の皇后

趙飛燕『歴朝名媛詩詞』より

在位 永始元年6月7日 - 綏和2年4月8日
前16年7月13日 - 前7年5月7日

全名 趙飛燕
趙宜主(元名)
死去 元寿2年(前1年)8月
配偶者 成帝
趙合徳
立后前身位 婕妤
テンプレートを表示

略歴

編集

姿

31816

27寿21

備考

編集

妹の趙昭儀が成帝の他の妃が生んだ複数の男子を殺めたとされる。後世に「燕啄皇孫(ツバメが皇孫をついばむ)」と呼ばれている。そう呼ぶ理由は、姉の方が有名である。しかし実際には趙飛燕が関与しているという記録はない。哀帝の時代に、大臣たちが趙昭儀を批判するものであるが、飛燕について言及もされていない。妹との連帯責任以外はあまり問えないと評されることが多い。