近畿大学理工学部
近畿大学理工学部(きんきだいがくりこうがくぶ)は、近畿大学が設置する理工学部。
キャンパスは東大阪キャンパス。
概略
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1949年(昭和24年)に新制大学の近畿大学が設立され[1]、それと同時に近畿大学理工学部︵数学物理学科、化学科、機械工学科、土木工学科の4学科︶が誕生した。その後、新たな学科が次々に設置され、2002年(平成14年) には、近畿大学理工学部は既存の11学科から8学科体制になった。
2011年(平成23年︶には、近畿大学理工学部から建築学科が分離独立し、﹁建築学部﹂が誕生したのに伴い、近畿大学理工学部は7学科体制になった[2]。現在、近畿大学理工学部の7学科は、理学科、生命科学科、応用化学科、機械工学科、電気電子通信工学科、社会環境工学科、エネルギー物質学科である。
近畿大学理工学部は﹁学ぶ意欲と習慣を身につけ、自律的に物事を考え判断し、課題解決のために行動・チャレンジできる教養豊かで創造性に富む人材を育成する﹂ことを教育理念・目標としている
大学1年では、学生は早い時期から実験・実習の進め方や考え方などを学び、数学・物理・化学・生物などの基礎知識を学んでいく。物理・数学・化学などを苦手とする学生に対しては﹁学習支援室﹂がマンツーマンでサポートしていく[3]。大学3年の後期から、学生は148もある研究室の中から、自分の専攻する分野を選択して所属し、大学4年では卒業研究を仕上げる。
沿革
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●1925年(大正14年) - 大阪専門学校の設立
●1943年(昭和18年) - 大阪理工科大学の設立
●1949年(昭和24年) - 新学制により大阪理工科大学と大阪専門学校が合併して、近畿大学が設立。同時に近畿大学に理工学部が設置され、数学物理学科、化学科、機械工学科、土木工学科の4学科でスタート。
●1951年(昭和26年) - 大阪専門学校閉校
●1953年(昭和28年) - 応用化学科の設置、大阪理工科大学閉校
●1955年(昭和30年) - 電気工学科の設置、15号館北竣工
●1960年(昭和35年) - 原子力研究所の開設
●1961年(昭和36年) - 原子炉工学科の設置
●1962年(昭和37年) - 金属工学科の設置、17号館南竣工
●1963年(昭和38年) - 建築学科の設置、17号館北竣工
●1964(昭和39) - 電子工学科の設置、31号館竣工
●1966年(昭和41年) - 30号館竣工
●1967年(昭和42年) - 経営工学科の設置
●1968年(昭和43年) - 32号館・33号館竣工
●1969年(昭和44年) - 22号館竣工
●1975年(昭和50年) - 新31号館竣工︵31号館・32号館を統合︶
●1981年(昭和56年) - 22号館増築工事︵4,069m2︶竣工
●1982年(昭和57年) - 31号館増築工事︵4,238m2︶竣工
●1984年(昭和59年) - 理工学総合研究所の開設
●1985年(昭和60年) - 34号館竣工
●1994年(平成6年) - 近畿大学理工学部の創設50周年記念行事
●2002年(平成14年) - 理工学部は既存の11学科から8学科に改組。これに伴い、数学物理学科、化学科は、数学コース、物理学コース、化学コースの3コースの﹁理学科﹂に改組。8学科は、理学科、生命科学科、応用化学科、機械工学科、電気電子工学科、社会環境工学科、建築学科、情報学科となった。
●2011年(平成23年) - 建築学部が設置され、建築学科の停止。近畿大学理工学部は7学科体制になる。
●2022年(令和4年) - 理工学部改組。これに伴い、情報学科は情報学部となり、エネルギー物質学科が新設。電気電子工学科が電気電子通信工学科に名称変更。
学部・学科
編集- 理学科
- 生命科学科
- 応用化学科
- 機械工学科
- 電気電子通信工学科
- 社会環境工学科
- エネルギー物質学科
附属機関
編集- 原子力研究所
- バイオコークス研究所
- 理工学総合研究所
- 近畿大学共同利用センター
- リエゾンセンター
交通アクセス
編集東大阪キャンパス(大阪府東大阪市小若江 3-4-1)
- JR俊徳道駅からバス約15分
脚注
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(一)^ “歴史 | 理工学部紹介”. 近畿大学 理工学部・大学院 総合理工学研究科. 2023年2月9日閲覧。
(二)^ “歴史 | 理工学部紹介”. 近畿大学 理工学部・大学院 総合理工学研究科. 2023年2月9日閲覧。
(三)^ “基礎教育 | 学部教育の特色”. 近畿大学 理工学部・大学院 総合理工学研究科. 2023年2月9日閲覧。