金子亜矢子
かねこ あやこ 金子 亜矢子 | |
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本名 | 金子 亜矢子[1][2] |
別名義 | 北村 亜矢子(きたむら あやこ)[3] |
生年月日 | 1927年1月17日(97歳) |
出身地 |
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血液型 | A型[4] |
職業 | 女優・声優 |
ジャンル | テレビドラマ・吹き替え・ラジオ・舞台 |
配偶者 | 金子高士(1949年[5] - )[6][5] |
著名な家族 |
北村益(祖父)[7] 北村小松(父親)[8][9][5][10][11] |
略歴
編集
東京府立第六高等女学校卒業[9][1][12]。
高校卒業後[1]、人形劇の劇団に入団[1][5][8]。父親に﹁女優になりたい。劇団バラ座に入りたい﹂と相談した所、菊田一夫の紹介で[11]、1947年[12]、劇団バラ座に移籍し[1][12][5]、そこで後の夫と知り合う[11]。劇団が解散した後[5]、松竹大船撮影所に入社[6][5]。1951年、ラジオ東京放送劇団に1期生として入団[6][1][8][5]。
映画からラジオに活動の中心を移した理由として金子は﹁理由と言うほどでは無いが、映画界の水が合わなかった﹂と述べている[5]。
1959年からフリーランスとなり、その後は東京俳優生活協同組合[12]、劇団河に所属していた[2]。
人物
編集出演
編集テレビドラマ
編集- おやゆび姫(1955年)
- 花のある家(1955年)
- 青い怒濤(1956年)
- 誰かみている(1956年)
- 越後獅子祭(1957年)
- 恋文(1958年)
- マンモスタワー(1958年)
- 見合合戦(1958年)
- おかあさん (1960年)
- ここに人あり (1961年)[12]
- 本日休診 (1961年)
- 6羽のかもめ(1974年)
舞台
編集吹き替え
編集- 赤い矢
- 生きるべきか死ぬべきか(マリア・トゥーラ<キャロル・ロンバード>)
- 5つの銅貨
- 宇宙大作戦[2]
- 快傑ゾロ(イネス)
- 鞄を持った女(叔母)
- 可愛い配当(エリー)
- 九月になれば
- 絞殺魔
- 黒衣の花嫁
- 地獄への道(ミリー)
- 私生活(セシル)
- じゃじゃ馬億万長者[2]
- 制服の処女(校長)
- プリズナーNo.6[2]
- ヘイゼルおばさん[2]
- ミステリーゾーン(アグネス・ガン[15])
- 拳銃無宿(エミリー・ケンドリック)
- 名犬ラッシー[2]
- 夜の豹(ケイシ―夫人)
- ルート66 (ジャナ・ジョンソン<アン・フランシス>)
- ルーシー・ショー[2]
- ローハイド(マドリーナ)
- ローマの休日(伯爵夫人)※フジテレビ版
ラジオドラマ
編集- 祈り(1952年)[16]
- チャッカリ夫人とウッカリ夫人(1953年、おふくさん[17])
テレビアニメ
編集参考文献
編集- 倉林誠一郎, ed (1966). 新劇年代記 戦後編. 白水社
脚注
編集
(一)^ abcdefgh﹁新桜オールスタァ名鑑﹂﹃芸能画報﹄4月号、サン出版社、1958年。
(二)^ abcdefghijkl﹃声優事典﹄︵第2版︶キネマ旬報社、1996年、381頁。ISBN 4-87376-160-3。
(三)^ ab﹁三つの花﹂﹃それいゆ﹄3月号、ひまわり社、1950年、118 - 126頁。
(四)^ ab﹃声優名鑑 アニメーションから洋画まで…﹄近代映画社、1985年、44頁。
(五)^ abcdefghijkl﹁ラジオ東京声優 金子亜矢子さん﹂﹃婦人生活﹄9月号、婦人生活社、1952年、180 - 181頁。
(六)^ abcdef﹁妻のいる部屋﹂﹃富士﹄7月号、世界社、1953年。
(七)^ “北村 小松”. 八戸市. 2023年3月18日閲覧。
(八)^ abcd﹁芸術二代シリーズ﹂﹃新婦人﹄3月号、文化実業社、1954年。
(九)^ abc﹁北村小松の夢﹂﹃映画評論﹄7月号、映画出版社、1964年、75頁。
(十)^ abc北村小松﹁ナイト・ファイティング - 車の中からみたはだかの日本 -﹂﹃オーナードライバー﹄文芸春秋新社、1961年、174頁。
(11)^ abcde北村小松 著﹁三人の娘を嫁がせて﹂、古谷綱武 編﹃結婚について﹄河出書房、1953年、119 - 123頁。
(12)^ abcdef﹃タレント名鑑NO2﹄芸能春秋社、1963年、127頁。
(13)^ ab新劇年代記 1966, pp. 113、135, 昭和二十三年︵1948年︶
(14)^ 新劇年代記 1966, p. 149, 昭和二十四年︵1949年︶
(15)^ 池田憲章、伊藤秀明、﹃ミステリー・ゾーン/未知の世界 傑作選 Vol.3﹄ Disc 3、ジャケット裏解説文、パイオニアLDC、1998年。
(16)^ 読売新聞夕刊、昭和27年1月18日
(17)^ 佐々木恵美子﹁チャッカリ夫人とウッカリ夫人﹂﹃明朗ラジオドラマ集﹄英宝社、1962年、2頁。