天宝10載︵751年︶の進士で、校書郎・考功郎中を歴任、大暦年間には太清宮使・翰林学士に至った。
大暦十才子の一人に数えられ、郎士元とともに﹁銭郎﹂と併称される。
現在﹃銭考功集﹄十巻が残っている。
代表的作品に、『逢侠者(侠者に逢う)』(五言絶句)、『江行無題』(五言絶句)がある。
逢侠者
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燕趙悲歌士
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燕趙(えんちょう) 悲歌(ひか)の士
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相逢劇孟家
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相逢う 劇孟(げきもう)の家
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寸心言不尽
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寸心(すんしん) 言い尽くさざるに
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前路日将斜
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前路 日 将(まさ)に斜めならんとす
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江行無題
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咫尺愁風雨
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咫尺(しせき) 風雨を愁う
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匡廬不可登
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匡廬(きょうろ) 登る可(べ)からず
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祇疑雲霧窟
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祇(た)だ疑う 雲霧の窟(いわや)
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猶有六朝僧
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猶お六朝(りくちょう)の僧有らんかと
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