勧修寺家当主勧修寺顕彰の四男顕慎は、文久元年︵1861年︶に幼くして奈良興福寺に入れられて惣珠院住職となったが、明治元年︵1868年︶に勅命により復飾し、翌2年に堂上格を与えられて一家を起こして長尾を家号とした。明治8年に華族に列し、明治17年︵1884年︶7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に顕慎は男爵に叙された。
しかし負債を抱えて経済的に困窮したため、明治20年︵1887︶1月13日に爵位を返上した[注釈1]。
- ^ 華族としての体面や格式を維持できない家計状態になった場合は、その地位を与えた皇室を汚さぬよう爵位は返上するのが一般的だった。