ウガヤフキアエズ
伝承上の上古日本の治天
(鸕鶿草葺不合尊から転送)
鵜葺草葺不合命 鸕鶿草葺不合尊 | |
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![]() 音川安親編 万物雛形画譜 四 | |
先代 | 彦火火出見尊(山幸彦) |
次代 | 彦火火出見尊(神武天皇) |
神祇 | 天津神 |
全名 |
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊 |
陵所 | 吾平山上陵 |
父 | 彦火火出見尊(山幸彦) |
母 | 豊玉姫 |
配偶者 | 玉依姫 |
子 | 彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、彦火火出見尊(神武天皇) |
宮 | 西州之宮 |
神社 | 鵜戸神宮など |
概要
編集名
編集神話での記述
編集系譜
編集系図
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| 素戔鳴尊 |
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| 天照大神 |
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天穂日命 |
| 天忍穂耳尊 |
| 天津彦根命 | |||||||||||||||||
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〔出雲氏〕 |
| 瓊瓊杵尊 |
| 〔凡河内氏〕 | |||||||||||||||||
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天火明命 |
| 火折尊 |
| 火須勢理命 | |||||||||||||||||
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〔尾張氏〕 |
| 鸕鶿草葺不合尊 |
| 〔隼人〕 | |||||||||||||||||
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| 1 神武天皇 |
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妻子
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●妃‥玉依姫︵たまよりびめ、玉依毘売命︶
海童の娘で豊玉姫の妹。鸕鶿草葺不合尊から見れば叔母にあたる
●彦五瀬命︵ひこいつせ の みこと︶
第一子。神武東征の際に賊の矢にあたって薨じた
●稲飯命︵いない の みこと︶
第二子。﹃日本書紀﹄第二・第四の一書では第三子。神武東征の際に鋤持神となった
●三毛入野命︵みけいりぬ の みこと、別名‥御毛沼命、稚三毛野命︶
第三子。﹃日本書紀﹄第二の一書では第二子、第三・第四の一書では第四子。神武東征の際に常世郷へ行った
●彦火火出見尊︵ひこほほでみ の みこと、別名‥狭野命、若御毛沼命、豊御毛沼命︶
第四子。﹃日本書紀﹄第三の一書では第三子、第四の一書では第二子
﹃日本書紀﹄第一書での幼名は狭野命
初代天皇。和風諡号﹁神日本磐余彦天皇﹂、漢風諡号﹁神武天皇﹂
宮
編集『日本書紀』は、鸕鶿草葺不合尊が崩御した地を「西州之宮(にしのくにのみや)」と記す。
陵・霊廟
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陵︵みささぎ︶の名は吾平山上陵︵あひらのやまのえのみささぎ︶。宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にあるに治定されている︵北緯31度17分16.64秒 東経130度54分54.78秒 / 北緯31.2879556度 東経130.9152167度︶。宮内庁上の形式は洞穴。
埋葬地は、日本書紀に﹁日向の吾平山上陵﹂と記載があるが、その伝承の地は南九州各地にある。明治7年に明治政府は、それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に鹿児島県鹿屋市︵旧 肝属郡吾平町︶鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟﹁鵜戸窟﹂内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。現在は宮内庁書陵部が管轄している︵他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定︶。
しかし日向国の人々からの反論が強く、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が﹁御陵墓伝説地 吾平山上陵﹂の参考地とされている。他に宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もある。
古史古伝
編集『ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の鵜萱葺不合命が開いた古代王朝をウガヤフキアエズ王朝という。一般的には古史古伝全般が偽書とみなされており、実在したとは考えられていない。
脚注
編集参考文献
編集- 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、7頁頁。ISBN 4-490-20225-3。
関連項目
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