黒水部
黒水靺鞨︵こくすいまっかつ︶は、ツングース系民族とする靺鞨七部の一派で、その主体である黒水部のほか16部が存在し、その主要な部落は次の通りである。
●思慕部 - 現在のロシアのブレヤ川とアムグン川上流地区
●郡利部 - アムール川河口
●窟設部 - 沿海州北部
●莫曳皆部 - 沿海州東南部
●拂涅部 - 牡丹江下流以東、現在の黒竜江省密山市周辺
●虞婁部 - ハンカ湖以東
●越喜部 - ウスリー川以東
●鉄利部 - 現在の依蘭県周辺、渤海人とともに出羽国を訪れたことが﹃続日本紀﹄に見える
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/79/Goguryeo-Relations.jpg/400px-Goguryeo-Relations.jpg)
勿吉七部︵靺鞨七部︶の民族系統。勿吉七部︵靺鞨七部︶の粟末靺鞨の 系統が渤海国に発展し、勿吉七部︵靺鞨七部︶の黒水靺鞨の系統が金に発展している。
725年、唐の安東都護の薛泰は、黒水靺鞨に黒水州都督府を置き、その首領を都督とし、各部部族長を刺史として、この地を監督することを奏上した。後に、渤海が強盛となり、唐が衰微すると、その南部の拂涅、虞婁、越喜、鉄利部などは、渤海に併合された。契丹の興隆後、契丹人は、彼らを女真︵女直︶と呼び始め、靺鞨の名前は使われなくなった。
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