鼓吹戸(くすいこ)は、律令制において兵部省鼓吹司に属する品部の一つ。軍陣に用いる鼓と角(ふえ)の調習を行った職業民を指す。
﹃日本書紀﹄の天武天皇14年︵685年︶3月
天皇︵すめらみこと︶、新宮︵にひみや︶の井︵ゐ︶の上︵うへ︶に居︵おは︶しまして、試︵こころみ︶に鼓吹︵つづみふえ︶の声︵おと︶を発︵おこ︶したまふ。仍︵よ︶りて調︵ととの︶へ習︵なら︶はしむ[1]
とあるのが史料における初出である。
﹃続日本紀﹄神亀3年︵726年︶8月、鷹飼部10戸とともに鼓吹戸300戸を定めた、とあり[2]、﹃令集解﹄﹁職員令﹂伴説所引の和銅2年︵709年︶の右大弁官宣によると、10月から2月までの5ヶ月間、上番して鼓角の教習を受け、その代償として調を免除されている。
- ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇下 10年3月25日条
- ^ 『続日本紀』巻第九、聖武天皇 神亀3年8月17日条
- 『国史大辞典』第四巻p768、文:狩野久、吉川弘文館、1983年
- 『日本書紀』(五)、岩波文庫、1995年
- 『続日本紀』2 新日本古典文学大系13 岩波書店、1990年
- 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年