鼠璞十種
『鼠璞十種』(そはくじっしゅ)は江戸学者三田村鳶魚が江戸についての未刊随筆を集めた叢書。幕末成立の『燕石十種』の影響を受ける。
題名
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価値の低いものを高いものとみなすことを意味する成語﹁鼠を以って璞と為す﹂に由来する。﹃燕石十種﹄の﹁燕石﹂にもそのような意味がある。
故事の出典は﹃戦国策﹄秦策三・八十である。
︵書き下し︶応侯[1]曰く、﹁鄭人、玉の未だ理︵をさ︶めざる[2]者を璞と謂ひ、周人、鼠の未だ臘︵ほじし[3]︶にせざる者を樸と謂ふ。周人、樸を懐きて鄭の賈[4]に過︵よぎ︶りて曰へらく、﹃樸を売らんと欲するか。﹄鄭の賈曰く、﹃之を欲す。﹄其の樸を出だして之を視るに、乃ち鼠なり。因りて謝して取らず。
今、平原君、自ら賢しと以︵おも︶ひ、名を天下に顕はす。然るに、其の主父[5]を沙丘[6]に降︵くだ︶して之を臣とす。天下の王の尚ほ猶ほ之を尊ぶ、是れ、天下の王鄭の賈の智に如かざるなれば、名に眩みて其の実を知らざるなり。﹂
脚注
編集経緯
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三田村鳶魚は1916年︵大正5年︶1月7日、国書刊行会代表者早川純三郎に随筆4冊を依頼された。国書刊行会は先に幕末成立の﹃燕石十種﹄を翻刻、﹃続燕石十種﹄﹃新燕石十種﹄を手がけている。三田村の初期の構想は大正5年の当用日記始末に書き残されており、実際の刊行では﹁雪の降道﹂が除かれ、﹁色里新かれうびん﹂が入った。
後年に三田村は、規模を拡大した﹃未刊随筆百種﹄︵米山堂、1927年︶を刊行した。昭和45年︵1970年︶に﹁鼠璞十種﹂は名著刊行会で復刊された。同じ時期に﹁未刊随筆百種﹂は臨川書店で復刊された
昭和53年︵1978年︶に、森銑三、野間光辰、朝倉治彦監修により、中央公論社で校訂本︵上中下巻︶が刊行。宇田敏彦、安藤菊二が分担して諸書の現存文に杉本苑子の推薦文が付す。
編集者︵編集責任者は高梨茂︶は、先に﹃三田村鳶魚全集﹄﹃未刊随筆百首﹄を校訂刊行しており、翌年より、新たに随筆を集めた﹃随筆百花苑﹄を編集刊行した。
収録作品
編集第一冊
編集- 加藤雀庵「高尾追々考」堀江東花蔵本
- 加藤雀庵「新吉原細見記考」堀江東花蔵本
- 高力種信「諸家随筆集」島田筑波蔵本
- 木室卯雲「奇異珍事録」山中共古蔵本
- 小梅散人五息斎「浮世草」
- 橋本経亮「橘窓自語」三村竹清蔵谷文晁写本
- 竹尾善筑「即事考」林若樹蔵本
- 鈴木桃野「反古のうらがき」、三村竹清蔵浅野梅堂書入本
- 岡田老樗軒「読老庵日札」三村竹清蔵本
- 「色里新かれうびん」
第二冊
編集参考文献
編集- 三田村鳶魚「崖略」
- 朝倉治彦「後記」中央公論社本各巻