135ISO1007135193435mm使[1]1960120828126110APS
135フィルム。このフィルムは35mm幅で、各画像は一般的なフルサイズで24×36mmとなる。またこのサイズは35mm映像用フォーマットの『シングルフレーム』との対比で『ダブルフレーム』と呼ばれることもある。

特徴

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135のフレームとパーフォレーション

13535mm

24×36mmKS-1870***81.496038.00mm2mm0.14mm

18×24mm24×24mm

24×32mm24×34mm24×23mm1967KMZ24×58mm199824×65mmXP3524×224mm使14×21mm

3624×36mm19802024123[2]27使24

681015使使45

HP572

使使使

1980DXISOISO100/21°ISO800/30°
 
富士フイルム製ISO400、135カラーフィルム

歴史

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最初期の35mm判スチルカメラ

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35mm70mm使35mm218×24mm14

使35mm1908Leo, Audobard and Baradat1913218×24mm1920

35mm=24×36mm1912P(George P. Smith)[3]35mm1913175300024×36mm使19145015.2m使800400

Levy-Roth191535mmDebrie Sept19181922

1923Furet24×36mm姿35mm

ライカ

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オスカー・バルナックは1913年頃にカメラ試作機(後にウル・ライカと呼ばれる)を設計したが、ヌル・ライカ(製造番号100から130)の初の試験生産は1923年を待たねばならなかった。ライカのフル生産は1925年に始まった。この時点で入手可能な35mm判カメラには1ダースほどの種類があった。ライカの成功には流行に乗った写真ライターの貢献も大きく、さらにレンズの品質、小さなサイズ、組立の精密さばかりか、価格の高さも写真家やファッションを追う人の『プレステージ』としてこれに寄与した。

ライカカメラはオスカー・バルナックの設計で35mmフィルムを使用し、24mm×36mmという小さなフォーマットがプロの写真に必要な品質を提供することを実証した。

ライカは当初40枚撮りで企画されていた(ヌル・ライカの初期製品まではカウンターが40まで設定されている)が、検討過程でその長さのフィルムをボディに収納するのが難しいと判断され、10%短縮した36枚撮り仕様となったという[4]。この「36枚撮り」は後年、パトローネ装填済み35mmフィルムが市販化された際にもフィルム最大延長の基本として踏襲された。

フィルム装填済みパトローネとコダック・レチナIb

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コダック・レチナIb

使1934135使使使19311219341Typ. 1171969135 (Kodachrome) 19351936

235435 使35mm335 24×23mm

1960年代以後

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1959年3月登場のニコンF一眼レフシステムカメラ  (system camera以来、35mm判カメラの質は格段に向上し、使い道は大きく広がった。パトローネに印刷された電気接点でフィルム感度や撮影可能枚数をカメラに設定できるDXコードシステムが1980年代に導入された。

1990年代から現在まで:APSとデジタルカメラの未来

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1996135APSAdvanced Photo System24mmAPSAPS1355APS

35mm35mm APS-C17×23mm使 202213535mm24×36mm使 使135退

脚注

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  1. ^ 『コダックのロールフィルムの歴史』”. 2004年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月10日閲覧。
  2. ^ コニカ ヘキサーRFなど
  3. ^ 酒井修一『ライカとその時代』朝日新聞社、1997年、169ページ。
  4. ^ 白松正『カメラの歴史散歩道』朝日ソノラマ、2004年、80ページ。

関連項目

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