1408年
年
1408年(1408 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 14世紀 - 15世紀 - 16世紀 |
十年紀: | 1380年代 1390年代 1400年代 1410年代 1420年代 |
年: | 1405年 1406年 1407年 1408年 1409年 1410年 1411年 |
他の紀年法
編集カレンダー
編集できごと
編集日本
編集
●日本国王足利義満急病のために死去。明の永楽帝は義満を評価しており、その死の翌年に弔問使を日本につかわし﹁恭献﹂という諡を贈っている。日本人で外国から諡号を贈られたのは義満が最初で最後である。
●︵応永15年2月︶ - 明船が兵庫から出港する。
●︵応永15年2月︶ - 花山院長親が耕雲口伝を著す。
●5月20日︵応永15年4月25日︶ - 足利義嗣が15歳で従三位になり、さらに親王に准じて禁中で元服する。
●︵応永15年5月︶ - 朝廷が足利義満に太上天皇の尊号を贈ろうとするが、足利義持は辞退する。
●7月15日︵応永15年6月22日︶ - 若狭国小浜に南蛮︵東南アジア︶の﹁亜烈進卿﹂が派遣した船が入港。文献記録上初めてゾウが日本に到来。
●︵応永15年7月︶ - 熊野本宮が焼ける。
●︵応永15年8月︶ - 京都が暴風に見舞われ、社寺舎屋が倒れる。
●︵応永15年12月︶ - 土倉・酒屋役の制が定められる。
●如拙が退蔵院瓢鮎図を描く。
誕生
編集「Category:1408年生」も参照
死去
編集「Category:1408年没」も参照
- 3月8日(応永15年2月2日) - 斯波義種、南北朝時代、室町時代の守護大名(* 1352年)
- 5月31日(応永15年5月6日) - 足利義満、室町幕府第3代征夷大将軍(* 1358年)
- 6月18日(太宗8年5月24日) - 李成桂[要出典]、李氏朝鮮の創始者(* 1335年)
- 9月22日 - ヨハネス7世パレオロゴス、東ローマ帝国パレオロゴス朝の皇帝(* 1370年)
- 12月4日 - ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ、オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワの妃(* 1366年?)
- ジョン・ガワー、中世イングランドの詩人(* 1330年?)