4つの厳粛な歌
ヨハネス・ブラームスが作曲したバスとピアノのための歌曲
『4つの厳粛な歌』(よっつのげんしゅくなうた、ドイツ語: Vier ernste Gesänge)は、ヨハネス・ブラームスが作曲したバスとピアノのための連作歌曲集。
概要
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1896年5月7日、ブラームスが迎えることのできた最後の誕生日に書き上げられた。初演は1896年9月9日にウィーンで、アントン・ジスターマンスの歌とケーンラード・ボス︵Coenraad V. Bos︶のピアノによって行われた。列席していたブラームスは﹁完璧に︵私の︶意図を理解していた﹂[1]と称賛したと伝えられる。同年中に出版され、友人マックス・クリンガーに献呈された。
テキストは﹃ドイツ・レクイエム﹄と同様に聖書︵ルター聖書︶から取られている。ブラームスが完成させた最後の声楽曲であり、この後に書かれた作品はオルガンのための﹃11のコラール前奏曲﹄のみである。このため、3月26日にクララ・シューマンが脳出血で倒れ完成直後に亡くなっていることもあって、自らの死を予期したブラームスが死にいま一度向き合った、いわば﹁辞世﹂の作品とみなされる。
自筆譜には管弦楽版の構想も書きつけられており、エーリヒ・ラインスドルフ、ギュンター・ラファエル、デトレフ・グラナート、ヘンク・デ・フリーヘルが管弦楽伴奏版の編曲を試みている。また、マックス・レーガーがピアノ独奏のための編曲を残している。
楽曲構成
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●第1曲 人の子らの運命と動物の運命は同じであり︵Denn es gehet dem Menschen︶
伝道の書3章19-22節。アンダンテ‐アレグロ、ニ短調、4/4拍子‐3/4拍子。A-B-A'-Bの複合二部形式で、荘重なアンダンテと力強いアレグロとが交互に現れる。
●第2曲 私は再び太陽の下で行われるあらゆる虐げを見た︵Ich wandte mich, und sahe an︶
伝道の書4章1-3節。アンダンテ、ト短調、3/4拍子。繰り返される下行音形が深い苦しみを表現する。終結部はわずかな安らぎを見せ、ト長調で終止する。
●第3曲 ああ死よ、お前を思い出すのはなんとつらいことか︵O Tod, wie bitter bist du︶
シラ書41章1-2節。グラーヴェ、ホ短調、3/2拍子。前二曲に増して重々しい足取りで進む。後半はホ長調となり、死の救いを歌う。
●第4曲 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも︵Wenn ich mit Menschen︶
コリント人への第一の手紙13章1-3, 12-13節。アンダンテ・コン・モート・エド・アニマ‐アダージョ、変ホ長調、4/4拍子。曲集中唯一、一貫して長調で書かれた曲であり、旋律も大きく躍動する。第1曲と同様の二部形式で書かれ、ロ長調、3/4拍子のおおらかな旋律が対比される。
注釈
編集参考文献
編集- 『作曲家別名曲解説ライブラリー7 ブラームス』音楽之友社、1993
外部リンク
編集- 4つの厳粛な歌 作品121の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- 歌詞対訳 - archive.today(2015年3月4日アーカイブ分) - 梅丘歌曲会館