HAYATE』(はやて)は、風童じゅんによる日本漫画作品。フォーミュラ1を題材としたモータースポーツ漫画。

HAYATE
ジャンル F1少年漫画
漫画
作者 風童じゅん
出版社 講談社
掲載誌 月刊少年マガジンマガジンGREAT
レーベル 講談社コミックス少年マガジン
発表期間 1992年7月号 - マガジンGREAT1997年3月号
巻数 12巻
話数 43話
テンプレート - ノート

19923GREAT199774312

概要

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F11990F1F1

あらすじ

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1992F1F12

F3F3000GP

登場人物

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チーム・レラ

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TEAM RERA FORMULA ONE

 

231992F3F3000退退1994鹿1994GP
所属チーム
1992年 レラ・コスワース(第15戦日本、第16戦最終戦オーストラリア)
1993年 レラ・スプレンダー(全戦)
1994年 レラ・フォード(開幕戦ブラジル~第5戦スペイン)
レラ・カムイ(第6戦カナダ~第16戦最終戦オーストラリア)

SJoe S Kajiwara

3019922Joseph Shingoro Kajiwara21992調1993鹿1994
所属チーム
1991年 レラ・エンジン不明(全戦)
1992年 レラ・コスワース(全戦)
1993年 レラ・スプレンダー(全戦)
1994年 マーキュリー・スプレンダー(全戦)

 

161992

 

1988F300061991F11994




マーキュリー

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(MERCURY GRAND PRIX ORGANIZATION)

アレックス・バトラー(Alex Butler)
マーキュリーのエースドライバー、27歳(1992年)。アイルランドの伯爵家であるバトラー財団の御曹司であり、父ジョン・ヘンリー・バトラーも元F1ドライバーである。本名、サー・アレクサンダー・ヘンリー・バトラー、ニックネームは「アル」。F3000時代に雨のレースでは無敵を誇った事から「雨の魔術師」の異名を取る天才ドライバー。1991年にレラからF1デビューを果たすも、その当時のレラの戦闘力の無さからまともにレースも出来ないままシーズンを終える。レラを見限った後、マーキュリーチームへ移籍した後は一躍トップドライバーへの道を歩んでゆくこととなる。俊郎の最大のライバルであり、またバトラー自身も俊郎を真のライバルと認めている。1994年シーズン、スプレンダーエンジンを手に入れたマーキュリーチームでチャンピオン争いに加わるほどの活躍を見せるが、シーズン中盤に目に異状をきたし、フランスGPでの俊郎との激闘の後に引退を発表する(しかしその後病を克服し、カムバックする事を示唆している)。「幻惑」と呼ばれるオーバーテイク技術を武器にしており、その技術の謎を知っているのはカジワラだけである。
所属チーム
1991年 レラ・エンジン不明(全戦?)
1992年 マーキュリー・ランボルギーニ(全戦)
1993年 マーキュリー・フォード(全戦)
1994年 マーキュリー・スプレンダー(開幕戦ブラジル~第7戦フランス→引退)
ローザ・バトラー
アレックス・バトラーの妹、21歳(1992年)。果穂と同様に実質のチームスタッフでは無かったようだが、アレックスについて殆どのレースに同行している。兄の引退に伴って、1994年シーズン中盤からマーキュリーのチーム・マネージャーとなる。ランディ・ブロッツァーの真の実力を見抜き、起用をチームに働きかけるなど手腕を振るう。
ブライアン・マーキュリー
マーキュリーの監督。

チーム・カムイ

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KAMUI ENGINEERING PROJECT

 

191319921993?1993F11994退F1GP

Rudolf Meine

1993GP2
所属チーム
1993年 カムイ(開幕戦南アフリカ、第10戦ドイツ~第16戦最終戦オーストラリア)
※第2戦~第9戦はテストドライバーとして同チームに在籍。
1994年 カムイ(開幕戦ブラジル~第5戦スペイン)
レラ・カムイ(第6戦カナダ~第16戦最終戦オーストラリア)
ランディ・ブロッツァー(Randy Blotzer)
1993年の日本GPにスポット参戦して来た謎の男。国籍は不明だが、南アフリカの孤児院施設にいたのではないかということを匂わせる記述が作中にある。レースの世界では「賞金稼ぎ」として有名であり、それと同様にダーティーな走りで恐れられていた。俊郎を倒すために稼ぎ放題のF3000から転向し、ちょうど打倒レラを狙っていたカムイとの利害が一致した為に、高額の契約金と要所要所での賞金を条件に契約する。日本GPでは、ルール無視とも言えるダーティーな走りで同僚であるマイネすらもリタイアに追い込むなどやりたい放題を繰り返した挙句、最後は1コーナーで俊郎の策に嵌って自滅する。その後表舞台から姿を消していたが、純粋に俊郎にレースで勝つべく1994年イタリアGPにてマーキュリーから復帰、その高い実力でカジワラとともに俊郎に迫っていく。長年俊郎を追い続けてきた事によってソニックターンの弱点を唯一知っており、1994年日本GPではピットでの火災で火傷を負いながらも、それをカジワラに伝えた。
所属チーム
1993年 カムイ(第15戦日本)
1994年 マーキュリー・スプレンダー(第12戦イタリア~第16戦最終戦オーストラリア)

スプレンダー

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1992GP199319931994



姿

主な実在F1レーサー

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1994GP



1992GP1992GP



1993GP



1994FIA

その他

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F1











退

作品に関するエピソード

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12F1沿3HAYATE

GP1993HAYATE