R.E.M.
アメリカ合衆国のロックバンド
R.E.M.︵アール・イー・エム︶は、アメリカ合衆国のオルタナティヴ・ロックバンド。1980年に結成され、2011年に解散[1]。2004年にローリング・ストーン誌が発表した﹁ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト﹂において第97位に選ばれている。2007年にロックの殿堂入り。
R.E.M. | |
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![]() | |
基本情報 | |
出身地 |
![]() ジョージア州アセンズ |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック、インディー・ロック、フォークロック、ジャングル・ポップ、ポストパンク |
活動期間 | 1980年 - 2011年 |
レーベル |
Hib-Tone I.R.S. Records(ユニバーサル ミュージック グループ) ワーナー・ブラザース・レコード |
公式サイト |
www |
メンバー |
マイケル・スタイプ ピーター・バック マイク・ミルズ |
旧メンバー | ビル・ベリー |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c6/Michael_Stipe_at_Glastonbury.jpg/220px-Michael_Stipe_at_Glastonbury.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/Mike_Mills_Manchester_-_2008.jpg/220px-Mike_Mills_Manchester_-_2008.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Peter_Buck_of_REM_in_looking_over_shoulder.jpg/220px-Peter_Buck_of_REM_in_looking_over_shoulder.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Billberry.jpg/220px-Billberry.jpg)
来歴
編集この節の加筆が望まれています。 |
1980年にジョージア州アセンズにて、マイケル・スタイプ︵ボーカル︶、ピーター・バック︵ギター︶、マイク・ミルズ︵ベース︶、ビル・ベリー︵ドラム︶の4人で結成された。
米国のインディーレーベル"Hib-Tone"よりシングル﹁レディオ・フリー・ヨーロッパ︵Radio Free Europe︶﹂で1981年にデビュー。翌年にA&M傘下のインディーレーベルI.R.S.に移籍。5枚のアルバムをリリースした後、6枚目のアルバム﹃グリーン﹄よりワーナーへと移籍。
1997年にドラムのビル・ベリーが健康上の理由により脱退。以後は3人で活動。
2007年に、ロックの殿堂入り。授賞式でのプレゼンターは、パール・ジャムのエディ・ヴェダー。
活動31年目の2011年9月21日、公式ホームページにて解散を発表。﹁僕らのファン、友人たちへ‥生涯の友として共に歩んできたR.E.M.としての活動を、終わりにすることに決めた﹂等とコメントした[1]。
音楽性
編集歌詞やバンドの姿勢にこめられた文学的・政治的なメッセージや、楽曲の高いアート性から、1980年代におけるUSカレッジ・チャートの雄としてアンダーグラウンドシーンに君臨したオルタナティヴ・ロック黎明期における代表的なバンドである。
インディーズ時代
編集
アルペジオを多用したギターサウンドと、メロディアスなベースラインが特徴である。
この時期の作品には歌詞が一切掲載されておらず、スタイプの歌唱も聞き取りづらかった為に﹁アメリカ人でも殆ど何を歌っているのかわからない﹂と言われたほど。
そんなミステリアスな雰囲気を秘めた、ややニュー・ウェーブ調で、パンク・ロック、サイケデリック・ロック、カントリーを彼らなりに消化した作風は早い時期から注目され、デビューアルバム﹃マーマー﹄はローリング・ストーンの1983年ベストアルバムに選出された。
ワーナー時代
編集
移籍後のアルバム﹃グリーン﹄にて、マンドリンやアコーディオン等のトラディショナルな楽器を積極的に取り入れ、後の﹁ルージング・マイ・レリジョン︵Losing My Religion︶﹂の大ヒットへと繋がる。
ストリングスを大々的に取り入れた﹃オートマチック・フォー・ザ・ピープル﹄、ノイジーなロックアルバム﹃モンスター﹄、各地でのライブ演奏やサウンドチェックを8トラックに録音した﹃ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ﹄、と作風の異なるアルバムを次々と発表した。
歌詞やスタイプの歌唱は明瞭になり、ステージでは政治的なメッセージを声高にオーディエンスに働きかける事も。その姿勢自体がオルタナティヴ・ロックの潮流の代表・先駆となっていった。
商業成績
編集全米各地のカレッジ・ラジオのサポートにより徐々に人気を広げていった。
初のヒット・シングルとなった1987年の「ザ・ワン・アイ・ラブ(The One I Love)」はアメリカ、イギリス、カナダにてTop 20入り。アルバム『ドキュメント』は初のミリオンヒットとなった。
代表作は1991年の『アウト・オブ・タイム』でグラミー賞7部門にノミネートされた。収録曲「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」は全米4位を記録。Best Short Form Music VideoとBest Pop Performance by a Duo or Group with Vocalを受賞。
『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』は死をテーマにしているとされ、内省的な作風ながら、全世界で1,500万枚以上売れた[注 2]。
メンバー
編集- マイケル・スタイプ(Michael Stipe) - ボーカル
- ピーター・バック(Peter Buck) - ギター、マンドリン
- 2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第94位[要出典]。
- マイク・ミルズ(Mike Mills) - ベース、ピアノ
旧メンバー
編集- ビル・ベリー(Bill Berry) - ドラム(1997年脱退)
関連バンド・ミュージシャン
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・R.E.M.のメンバーが影響を受けたバンドとしては、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、テレヴィジョン 等があげられる。パティ・スミスは﹃ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ﹄収録曲﹁E-Bow the Letter﹂に参加している。
・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの楽曲を数多くカバーしている。
●﹁アフター・アワーズ﹂ - ライブ音源が1990年9月発売のビデオ﹃Tourfilm﹄や1991年のシングル﹁Losing My Religion﹂などに収録された[2]。
●﹁宿命の女﹂ - 1986年の12インチ・シングル﹁Superman﹂に収録。コンピレーション・アルバム﹃Dead Letter Office﹄に収録[3]。
●﹁もう一度彼女が行くところ﹂ - 1983年のシングル﹁レディオ・フリー・ヨーロッパ﹂︵I.R.S. バージョン︶のB面に収録。
●﹁ペイル・ブルー・アイズ﹂ - 1984年の12インチ・シングル﹁サウス・セントラル・レイン﹂に収録。
・同じくグレン・キャンベルの楽曲も数多くカバーしている。
●﹁ウィチタ・ラインマン﹂ - 1996年のCDマキシシングル﹁Bittersweet Me﹂のB面。1995年9月15日にテキサス州ヒューストンで演奏されたライブ音源。2014年発売のコンピレーション・アルバム﹃Complete Rarities: Warner Bros. 1988–2011﹄に収録された。
●﹁ジェントル・オン・マイ・マインド﹂ - 2007年のアルバム﹃Sounds Eclectic: The Covers Project﹄に収録。録音は2001年6月12日に行われた。
●﹁ガルベストン﹂ - 1995年のドキュメンタリー﹃Rough Cut﹄に登場。コンサートのリハーサル場面が収録されている。
●﹁恋はフェニックス﹂ - 1995年のツアーで演奏された[4]。
・トム・ヨーク︵レディオヘッド︶、クリス・マーティン︵コールドプレイ︶、ソニック・ユース、パール・ジャム、スティーヴン・マルクマス︵ペイヴメント︶、デーモン・アルバーン︵ブラー、ゴリラズ︶らからのリスペクトを一身に受けている。
・ニルヴァーナのカート・コバーンもR.E.M.への共感を表明していた一人。﹃オートマチック・フォー・ザ・ピープル﹄はカートが自殺する直前に聞いていたとされるレコードとしても知られる[5]。
・ピーター・バックのギターサウンドは、デビュー当時ザ・バーズとよく比較された。
・同郷のB-52'sのケイト・ピアソンは﹃アウト・オブ・タイム﹄の数曲でボーカルとして参加している。
・ジョン・ポール・ジョーンズは﹃オートマチック・フォー・ザ・ピープル﹄でストリングスのアレンジを担当している。
・俳優ジョニー・デップは、ギビー・ハインズ︵バットホール・サーファーズ︶らと組んだバンド、Pで﹁マイケル・スタイプ﹂という楽曲を制作している。
ディスコグラフィ
編集詳細は「R.E.M.の作品」を参照
スタジオ・アルバム
編集- 『マーマー』 - Murmur(1983年)US 36位、ゴールド
- 『夢の肖像』 - Reckoning(1984年)US 27位、ゴールド
- 『玉手箱』 - Fables Of The Reconstruction(1985年)US 28位、ゴールド
- 『ライフズ・リッチ・ページェント』 - Lifes Rich Pageant(1986年)US 21位、ゴールド
- 『ドキュメント』 - Document(1987年)US 10位、プラチナ
- 『グリーン』 - Green(1988年)US 12位、2xプラチナ
- 『アウト・オブ・タイム』 - Out Of Time(1991年)US 1位、4xプラチナ
- 『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』 - Automatic For The People(1992年)US 2位、4xプラチナ UK 1位
- 『モンスター』 - Monster(1994年)US 1位、4xプラチナ UK 1位
- 『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』 - New Adventures In Hi-Fi(1996年)US 2位、プラチナ UK 1位
- 『UP』 - Up(1998年)US 3位、ゴールド UK 1位
- 『リヴィール』 - Reveal(2001年)US 6位、ゴールド UK 1位
- 『アラウンド・ザ・サン』 - Around The Sun(2004年)US 13位、ゴールド UK 1位 WorldWide 1位
- 『アクセラレイト』 - Accelerate(2008年)US 2位 UK 1位 WorldWide 1位
- 『コラプス・イントゥ・ナウ』 - Collapse Into Now(2011年)
ライブ・アルバム
編集- 『R.E.M. ライヴ』 - R.E.M. Live(2007年)
- 『ライヴ・アット・ジ・オリンピア』 - Live At The Olympia(2009年)
コンピレーション・アルバム
編集- 『エポニマス』 - Eponymous(1990年)
- 『ザ・ベスト・オブ・R.E.M.』 - The Best Of R.E.M.(1991年)
- 『イン・タイム:ザ・ベスト・オブ・R.E.M. 1988-2003』 - In Time: The Best of R.E.M. 1988-2003(2003年)
- And I Feel Fine - The Best of I.R.S. Years 1982-1987(2006年)
- Part Lies, Part Heart, Part Truth, Part Garbage: 1982-2011(2011年)
日本公演
編集エピソード
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・バンド名の由来についてメンバーのマイク・ミルズは、CDジャーナル2011年3月号のインタビューでRemember Every Momentという解釈に言及している[注3]。
●ローリング・ストーン誌の表紙を飾った際には、﹁アメリカ最高のロック・アンド・ロール・バンド﹂、﹁世界で最も重要なロックバンド﹂と紹介された[要出典]。
●スタイプとバックは、当時バックが働いていたレコード店で出会い意気投合。スタイプが購入するレコードはどれもバックが自分用に確保しておいた品物だったという。
●ミルズとベリーは高校以来の音楽仲間で、二人はジョージア大学に通っていた。
●R.E.M.という名前に決定する前に候補として挙げられていたバンド名は、Cans of Piss︵小便缶︶、Slug Bank︵ナメクジ銀行︶、Twisted Kites︵からまった凧︶、Negro Wives︵黒人の妻達︶。
●1984年の来日時には爆風スランプが前座を務めた。
●1995年、菓子メーカーハーシーフーズ社が米国において、チョコレート菓子﹃キットカット﹄でR.E.M.のコンサートチケットが当たる懸賞をバンド側に無断で発表し、R.E.M.は提訴した。のちに和解し、提訴は取り下げた。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “R.E.M.がオフィシャル・サイトにて解散を発表” (2011年9月22日). 2015年7月27日閲覧。
- ^ R.E.M. - Losing My Religion (Vinyl) at Discogs
- ^ R.E.M. - Dead Letter Office (Cassette) at Discogs
- ^ R.E.M. Concert Setlist at Desert Sky Pavilion, Phoenix on November 4, 1995 | setlist.fm
- ^ http://www.blender.com/guide/67796/33-things-you-should-know-about-nirvana.html