5−2.日本国内のモニュメント
5−2−5‥﹁みずほ﹂モニュメント、最終場所に移転︵2013.12/2014.10写真追加︶
2013年12月、旧富士銀行本店跡に新設されたビルの西側に新設された公開緑地、﹁大手町の森﹂内に再移設されました。これで最終の移転となります。
移転された﹁みずほ﹂メモリアル︵2014・8撮影・画面の2013は誤り︶
5−2−4‥移転された﹁みずほ﹂モニュメント(2008.8.26)
大手町の旧﹁富士銀行﹂本店前に設置されていたモニュメントは、該地区の再開発のため、今月﹁丸の内2丁目ビル﹂︵丸ビル南隣︶のロビー内に暫定的に移設されました。丸の内仲道り側が入口で、商店も有るため、休日も21時まで通行できます。︵関連記事﹁ニュース93﹂︶
なおネームプレートは修復のため取り外されていましたが、修復が終わりました。
︵左︶ビル入口・青いパネルの内側・屋内にあります
︵右︶右手にプレートと鉄骨があります。
︵写真の状態が悪いので、旧メモリアルの写真を残しました。アメリカ大使館の記事の次(5-2-2)をご覧ください︶
5−2−3‥アメリカ大使館前の記念樹・山紅葉(2006.09)
(2004.11撮影)
2001年の事件発生直後、アメリカ大使館の門の前に多くの花束などが寄せられました。この山紅葉は、その場所に翌年の9月11日、ハワード・H.ベーカー Jr.前大使によって植えられ、さらに1周年記念式典が行われました。
今年の事件5周年にあたり、この木の前でJ・トーマス・シーファー大使も参加されて記念式典がおこなわれました。︵ニュース︵57︶記載︶
木の根本に有るプレート
︵従来の写真の文字が見難かったのでいれかえました。2008.8︶
プレートには次のように書かかれています。
﹁この山紅葉はアメリカ合衆国における2001年9月11日の同時多発テロ攻撃の後に誰に言われることもなくこの地に寄せられた多くの人々の心からの哀悼の意を永く銘記するためハワード H.ベーカー、Jr.大使の手によって2002年9月11日に植えられたものです﹂
︵現在は警備のため近寄る事ができませんが、ビザ申請等で用件の有る場合は前をとおりますのでプレートをご覧下さい。木自体は道路の反対側から見ることができます︶
追悼施設目次 へ戻る
ニュースおよびお知らせに戻る
5−2−2.みずほ銀行グループのモニュメント(2005.9) ︵移設前︶
2005年9月、東京大手町のみずほフィナンシャルグループ本社︵旧富士銀行本店︶前に、事件のメモリアルとしてのモニュメントが設置されました。母子像を中心とする芸大 山本正道教授制作のブロンズ像で、その傍らには、NYの消防当局から寄贈されたWTCビルの鉄骨の一部が展示されています。そのわきにみずほグループの犠牲者、日米計23名の氏名が記載されています。(2005.9.)
追記‥大手町地区再開発にともないこのメモリアルは、8月上・中旬に丸の内2丁目ビル・丸の内中通り側ロビーに暫定的に移設されます。(2008.8.1)
母子像、樹木、新芽のでた切株︵人間の絆と生命の再生を象徴︶
犠牲者氏名︵日米計23名︶とWTC鉄骨︵右側︶
モニュメント背面より﹁大手町駅前﹂交差点方向を見る(左︶
モニュメント前の枝垂桜(右・2008.4.4撮影・追加︶
追悼施設目次 へ戻る
ニュースおよびお知らせに戻る
5−2−1‥メモリアルプレート︵みずほ関係︶ (2003.12)
昨年 披露されたNY市内のオフイス内のプレートにつづいて、ニュージャージに新設されたオフイスにも同様のプレートが設けられました。11日にはその前で自然発生的に追悼の会がもたれたと聞きました。
また、NY市内の﹁みずほキャピタルマーケット﹂のオフイスには関係者4名のプレートが設けられました。
親の世代はだんだんNYに来られなくなるので、東京にも同じものが出来ないかということが話題になりました。(KAZU)
(註‥この記事はNYの話ですが、この次のメモリアルの設置とも関係が有るのでここに掲載しておきます。現在NYにはみずほ関係のプレートが3箇所にありますが、いずれもオフイス内のため関係者以外には公開されていません︶
追悼施設目次 へ戻る
トップページへ戻る