姫野カオルコさん(小説家)の「仕事とは?」

ひめのかおるこ・1958年滋賀県生まれ。青山学院大学文学部卒業。90年出版社に持ち込みをした『ひと呼んでミツコ』で単行本デビュー。97年『受難』が第117回直木賞候補、2002年『よるねこ』収録の「探偵物語」が『ザ・ベストミステリーズ』(日本推理作家協会編)に選ばれる。04年『ツ、イ、ラ、ク』が 第130回直木賞候補、06年『ハルカ・エイティ』が第134回直木賞候補、10年『リアル・シンデレラ』が第143回直木賞候補となったのち、14年『昭和の犬』で第150回直木賞受賞。
公式サイト http://himenoshiki.com

読者目線を考えずに書いたものを世に出すのは、絶対にいや


5175










ph_shigoto_vol122_01

仕事の向き、不向きなんてそう簡単にはわからない

「小説家になる」と小さいころから思っていました。目標とか、夢とか、そういうことではないんですよ。自分は小説家にしかなれないと思ったのです。書くことは好きでしたが、根拠があったわけではありません。おかしな話かもしれませんが、天からの声に「あなたは小説を書くしかできません」と言われたように自然とそう思っていました。

滋賀県から上京して大学の文学部に入り、在学中から小さな出版社で読者投稿のリライト(原稿を読みやすいように書き直す)のアルバイトをしました。現実的な理由からです。生活費を稼ぐために、とりあえず自分にできそうで、手っ取り早く換金できる仕事だったからです。私は一人っ子で両親がすでに高齢で、父が入院を繰り返していたので、滋賀に頻繁に帰らなければいけませんでした。ある程度時間の自由がきくアルバイトが欲しかったんです。

ギャラはメチャクチャ安いうえに注文はウルさくてあまり楽しいアルバイトではありませんでしたが、やるからには将来小説を書くための勉強にしようと思いました。だから、編集者にダメ出しをされるのも苦ではなかったですね。「読者はこういう人たちだから、こんな情報を入れても仕方がない」とか「この文章は読者にはわかりにくい」とか、自分にはわからなかったことを気づかせてもらえて、「これはいいぞ」と思いました。そのことが私の小説にどんな影響を与えたかはわからないけれど、少なくとも、プロとしてものを書くからには必ず読者の存在があるという当たり前のことを体感した経験でした。

卒業後、画廊に勤務したのも、小説を書きながら、親の見舞いに行く時間を取りやすい仕事だったからです。書いた小説をいくつかの出版社に持ち込み、32歳でデビューしました。以来、なんとか暮らしてきましたが、小説家って本当にもうからない(笑)。ただ、書きたいから書き続けてきました。高収入を望んでいるなら選ばない方がよい職業ですね。

なぜ小説家になれたのか理由はよくわからないけれど、一つ確かなのは、続けてきたから今があるということ。だから、若いうちは一つの仕事をしばらく続けてみた方がいいと思いますね。仕事の向き、不向きはすぐにはわからないですよ。

「自分に何が向いているかわからないから、就職しない」という人がいますが、言い訳でしょう。働かずに遊んでいたいだけの。それは直視すべき。変な言い訳をせず、「まだ遊んでいたい」とはっきり言った方が潔いです。ただし、社会で何の経験も積まないでいると、労働市場での価値というのは年齢とともにどんどん下がります。後になって困らないように、それだけはよく知っておいてほしいですね。

ph_shigoto_vol122_02

INFORMATION

直木賞を受賞した『昭和の犬』は昭和33年生まれの姫野さん自身がモデルの自伝的小説。奇異なふるまいの両親の元に生まれた一人娘の5歳から49歳までの半生を描いた作品で、さまざまな犬との何気ない日常のエピソードが主人公の心情を繊細に映し出している。「大きな事件のある作品ではありませんが、育った家の中で人にはうまく言えない問題を抱えたまま大人になった人は少なくないはず。そういう方たちに『自分だけではないんだな』と思っていただけたらうれしいです」と姫野さん。

ph_shigoto_vol122_03

取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康