魔法瓶の歴史と今
~大阪・天満の象印「まほうびん記念館」を訪れる
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大阪・天満の象印マホービン株式会社本社 |
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まほうびん博物館は本社の1階に開設されている | 魔法瓶の歴史を幅広く紹介している |
■元祖魔法瓶は実験用のフラスコだった
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まず入るとビデオ絵本「まほうびんが生まれるまで」を見ることができる |
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デュワー瓶のレプリカ。サイズなども精密に復元されているという | ジェームス・デュワー氏 |
■魔法瓶メーカーで動物ロゴが多用されている理由
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1908年当時の広告。「驚くべき発明なる 寒暖壜(かんだんびん)」とのコピー |
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日本で初めて魔法瓶を開発した八木亭二郎氏 |
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大正時代に生産された魔法瓶の数々 |
■こぼれない、エアー式など付加価値で勝負
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戦後第1号の卓上用魔法瓶となったポットペリカン。展示されているのは復刻版 |
第2次世界対戦に突入するとともに、魔法瓶の生産は一時休止状態となったが、1945年の終戦とともに、魔法瓶産業が復興する。
1923年には戦後第1号の卓上魔法瓶となる「ポットペリカン」が象印から登場。その可愛らしい形状から長年に渡り人気製品となったほか、1958年にはソーダガラスを使用することで、傾けてもこぼれない新型せんが開発され、魔法瓶を携帯して利用するという用途が一気に拡大することになる。また、1963年には、自動製瓶機が開発され、魔法瓶の中瓶の量産化に成功。これが、品質の安定化と、大量生産、コストダウンに大きく寄与することになる。
「それまでは熟練の職人が9人1組で作業を行なって、1.8Lの中瓶を一日500本しか作れなかった。それが比較にならないほどの大量生産が可能になり、品質のムラを無くすことにもつながった」という。
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ソーダガラスを使用した傾けてこぼれない新型センを採用した魔法瓶 | 戦後までは海外製品のデザインを模倣したものが多かったが、徐々にオリジナルが増える。写真は1956年のスーパーポットS型 | 手吹きによる中瓶の製造の様子。9人1組で一日500本を作った |
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自動化以降、中瓶は大量生産と品質向上とともに、写真のような様々な形を生産できるようになった | 大量生産が可能になったことで魔法瓶の技術は様々なものに応用されるようになった。これはアイスクリーム用の保冷容器 | お米を保温するジャー |
魔法瓶の使い勝手の進化も同時に始まっていった。1963年には傾けるだけで、蓋を自動的に開閉するオートフラップ機構の採用、1968年には下部に回転台をつけて、360度のあらゆる方向に給湯できる回転式の採用。さらには、1972年にはエアー式と呼ばれるレバーや蓋中央部を押すことでお湯を注ぐことができる仕組みも採用された。
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傾けるだけでお湯を注ぐことができるオートフラップ機能を搭載した魔法瓶 | 硬質ガラスを中瓶に採用し、安全性を高めた二重蓋などを採用したUポット。ヒット商品だ | 魔法瓶の下に回転台をつけて、どの方向でも給湯できるようにした |
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エアー式の卓上魔法瓶も使い勝手を格段に進歩させた機能 | プッシュ式を決定的とした「エアーポット押すだけ」のテレビCM | その後、押すだけシリーズは、電気エアーポットに進化した |
使い勝手という点では、胴継ぎ方式の採用も大きなインパクトがあった。もともと外瓶を太くすると、胴径と口径の差が大きいため、一気に径を絞れないという問題があったが、これを胴継ぎ技術によって解決。太瓶化したことで、背丈が低く、座ったまま手が届く卓上魔法瓶の開発に成功した。
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胴継方式により太瓶化し、背を低くすることに成功したエアーポット押すだけ太瓶 VBA型 | ノック式ボールペンの原理を応用し、押すだけで簡単に開閉できるプッシュせんを採用したグッチーニポットVGC型 | パスカルの原理を応用して残量チェックを可能にした「みェ~るポット」シリーズ |
■移り変わる魔法瓶のトレンド
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花柄のポットは一世を風靡した。こちらはより写実的な花柄が特徴的なデザイン | どこの家庭にもあったデザインだ | 鮮明な塗装を実現するために高度な印刷技術を活用した |
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オールステンレス製の真空二重瓶としたステンレスサーモスタフボーイSTA型 | 東海道新幹線のコーヒーサービスで利用されたステンレスエアーサーモスタフロードSKA型 | 様々な利用シーンに対応したステンレス魔法瓶が登場した |
「ステンレスが採用されるようになってから、数々の開発目標が設定された。部品加工精度の向上や、組立溶接治具の開発により真空層の隙間を少なくしたり、薄板加工技術、溶接技術の改良により、熱伝導を抑え、口径を大きくすることで、より軽く、使い勝手の良い携帯型魔法瓶が開発されるようになった」(粟津氏)という。
1994年に発売された児童用魔法瓶と、2003年に発売された児童用ステンレス魔法瓶を比較すると、外体積は1,160ccに対して、970ccと小型化。重量も430gから330gへと軽量化しているのに対して、容量は610mlと600mlとほぼ変わらない。これはステレンスの採用とともに、真空層厚を3.55mmから1.15mmへと大幅に薄くしているからである。
現在、ステンレス魔法瓶は国内全体で、年間978万台(2008年実績、ステンレス製まほうびん協議会調べ)に達している。
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ステンレス魔法瓶は業務用にも広がった。ステンレススーパーポットSTH型 | 金や銀を施した高級卓上用魔法瓶「OLEZZO(オレッツォ)」。バブル時代の1991年に製造。 | 右が1994年に発売された児童用魔法瓶、左が2003年に発売された児童用ステンレス魔法瓶。真空層厚の差があるのがわかる。 |
■象印の歴史を細かく展示
なお、まほうびん記念館では、1,300点にのぼる製品を所蔵しており、象印マホービンの90年に渡る歴史についても常設展示している。
まほうびん&ポット、ジャー&炊飯器、電気調理器、環境・健康機器、アイデア商品の5つのジャンルに分類し、商品を展示して、その歴史を紹介しているほか、ドキュメント映像やテレビCMなどを放映する「暮らしの夢シアター」、真空の仕組みを視覚や聴覚によって体験できる「真空のふしぎ体感コーナー」、象印マホービンの未来へ向けての取り組み、宇宙開発やスポーツ、産業などへ貢献する新たな技術を紹介する「象印マホービン未来進行形」の展示コーナーも用意されている。
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象印の歴代製品を5つのカテゴリーに分類して展示している | ドキュメント映像やテレビCMなどを放映する「暮らしの夢シアター」 | ボタンを押すと真空状態が作れ、ボールの様子や、ベルの音がどう変化するかを体験できる |
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真空状態にした場合に熱の伝わり方が少ないことを体感できる | 「象印マホービン未来進行形」の展示コーナー |
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未来のステンレス魔法瓶のデザイン | 女子マラソンの野口みずきさんが実際に使用したステンレスボトル。体の冷却用と給水の機能を持つ。これでアテネオリンピックの金メダルを獲得した |
■企画展を随時開催。今月いっぱいは「すいとう展」を開催
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まほうびん記念館の中央部などで実施されている「すいとう展」 |
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ボディに真鍮やアルミを施した「昭和20年代からの携帯用まほうびん」 | 「ガラス製のまほうびんとプラボトル」の展示 | プラボトルは、「割れない」という特徴が人気を博した |
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「ステンレスまほうびん」の展示コーナー。代表的製品が展示されている |
「ステンレスまほうびん」のコーナーでは、ステンレスを素材とした魔法瓶を展示。それまでのガラス魔法瓶弱点であった「割れる」という課題を解決するとともに、プラボトルの弱点である「保温効力」も解決。象印が発売した「タフボーイ」は、持ち歩く魔法瓶として、それまでの商品の概念をひっくり返した。
また、1985年に発売した円筒形の「タフスリム」、1986年に発売した大容量型の「タフロード」、1989年に発売し、カラー化が女性にも人気となった「タフボーイNAVI」、1999年発売の軽さ、薄さともに究極を実現した「タフスーパースリム」も展示している。
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1963年に登場したディズニー柄の水筒。40年以上も商品を提供し続けている。展示しているのは初期のもの | 1983年度のグッドデザイン賞部門別大賞を受賞した、スポーティサーモス「アトム」 | 1985年発売の迷彩色のカバーをまとったステンレスサーモス「タフアーミー」など |
■家庭で1個から1人1個の時代へ
2009年6月8日 00:00