(左から)朽木誠一郎さん、尾田和実さん、宮脇淳さん、石川龍さん
KAI-YOUはこれまで、Webメディアというシステムや業界、あるいはそこで働く人々についての、自己言及的な記事執筆や取材をあまり行なってこなかった。
それは﹁ポップ﹂を標榜する我々にとって、そして読者や楽しんでくれる人たちにとって、あくまでコンテンツこそが主であり、その受け皿であるメディアの裏側を見せる必要性を感じなかったからに他ならない。
しかし2019年に入ってからというもの、そうは言ってられなくなってきた。多くのWebメディアが閉鎖したり、人員削減を断行するなどのネガティブな報道が多く目に入ってきた。そしてやはりそれは他人事ではなく、KAI-YOU Premiumという新たなメディアを発足した理由の一つにもなっている。
いま、Webメディアに何が起きているのか。Webメディアを取り巻く状況はどのようなものなのか?
経営者として、編集長として、プロデューサーとして、記者として、様々な立場や経験を経た4人のWebメディア有識者たちは、現在のWebメディアというビジネスとその役割、情報環境の変化について何を思うのか。
持続可能なWebメディア運営の可能性をその議論から探っていく。
目次
(一)Webメディア業界への参入と、その歴史
(二)内側から見た、無料/広告モデル型メディアの限界
(三)Webメディアは﹃R25﹄の轍を踏む?
(四)メディアのファンダム形成は可能か
Webメディア業界への参入と、その歴史
──2019年に入って、﹁みんなのごはん﹂や﹁nanapi﹂﹁SHIBUYA GAME﹂等、有名なメディアWebメディアやオウンドメディア︵※1︶の閉鎖が相次いでいます。そんな中で僕らはKAI-YOU Premiumというサブスクリプション型の新メディアを立ち上げてしまったわけですが、Webメディアという分野について危機的な思いを抱いています。
そこで、今回長年メディア業界に従事してらっしゃる方々を集めて真剣に語り合う場を1年に一度ぐらい設けたいと思ってお呼びさせていただきました。Webメディアといっても様々なキャリアを持つ人たちがまったく違う仕事をしていることもあるので、まずそもそもなんでみんなWebメディアに関わろうと思ったのでしょうか?
朽木 僕はもともとWeb制作会社のオウンドメディアで編集長を任されて。SEOに注力してPVを2倍、3倍くらいまで増やすことはできたんですけど、その後、きちんと修行し直したいと思い──今日僕が偉そうなことを喋りにくい理由であるのですが、宮脇さんのノオトに転職して、修行させてもらいました。
宮脇 ︵笑︶。2年弱くらいいたよね。
朽木 その最中に﹁WELQ問題﹂︵※2︶が起きたんですよね。僕は医学部医学科を卒業して医者になっていないという変な経歴のもとWebメディア業界に入ったから、WELQの一連の騒動は、僕にしか追及できない問題だと思いました。ただ、それは報道という分野だったので、編集プロダクションでの仕事とは少し違っていて。声をかけてくれたBuzzFeed Japanに移って、また2年弱くらい働きました。
今回の課題感とまさに一緒で、正直に言うと﹁独立系の無料閲覧/広告モデルの限界が見えてきたのではないか﹂と感じて、それに対して自分も運営者として手を動かして対抗したいと思うようになり、朝日新聞社に転職しました。3割くらいは記者をしていますが、もう7割は新事業開発的なことを担当しています。
宮脇さんの教えを引き継いで──と言うとおこがましいけど、メディア運営やコンテンツ制作、つまり編集プロダクションのようなことを社内でやっています。メディアに受託制作の機能を併設し、総体として売り上げを拡大する手法は、最近でも雑誌や動画系のWebメディアで盛んですよね。新聞社の編集側の人間として、編集部体制の構築やディストリビューションの整備、企画、コンサルあるいは編集業務などで持続可能なメディア開発をするために動いているところです。
※1﹁自社で運営するWebメディア﹂の総称。自社商品の宣伝や顧客情報の取得などのマーケティング、コミュニティ形成など、その目的はメディアごとに多岐に渡る。2015年ごろにビジネス的なブームとなる。
※2かつてDeNAが運営していた医療系キュレーションメディア。SEOに偏重するあまり、健康や生命に関わる記事さえも杜撰な記事が濫造された。ユーザーやメディア関係者からの批判を受け、2016年11月29日に閉鎖。その後、同一の手法で運営されていたメディアプラットフォーム﹁DeNA Palette﹂の9媒体が相次いで更新停止、閉鎖に至った。
──歴史ある新聞社に受託業務の需要があることに、まず驚きです。
朽木 新聞社の編集力への期待は大きいと感じます。業界構造が違うところに行けば、Webメディアという形でも違うことまだまだはできるという実感がある。僕はビジネスサイドではありませんが、同時に新しいメディア運営モデルをつくりたくて。それもあって﹁デジタルディレクター﹂という社員4000人中の1人しかいない謎の肩書きをつけられて、プロデューサー業務もしています。
──Webメディア業界は狭くて、今回もお互い顔見知りが多いと思うんですけど、石川さんはみなさんと初対面らしいですね。
石川 そうなんです。私だけ新参で恐縮です。
──全然新参じゃないです︵笑︶。石川さんはどのような流れでWebメディア業界に入っちゃったんですか?
石川 僕は大学卒業してから7〜8年ぐらい、LUNKHEADというロックバンドでドラムを叩いていました。30歳手前ぐらいまで印税と事務所からの給料で飯を食うプロミュージシャンでした。
転機は、2010年ぐらいに音楽業界の不調が顕著になってCDが売れなくなって、配信サービスやiTunesが上陸して席巻しはじめたころです。将来的には日本でもサブスクリプションというサービスで音楽が定額で聴き放題になる未来が来るかもしれないという時代。そのタイミングで、正直音楽で生計を立てていくのが厳しくなってしまった。多くのミュージシャンがそうるようにアルバイトしながら音楽をする選択肢もあったんですけど、自分の中ではあまりフィットしなくて──そこから30歳手前で新社会人としてIT業界に転職しました。
その会社でしばらくITソリューション営業や音楽関連の新規事業開発などに携わっていましたが、2015年頃、ご縁があって、Webメディアの﹁ナタリー﹂を運営しているナターシャに転職して、広告営業のマネージャーを2年ほどやりました。﹁ナタリー﹂はポップカルチャーを扱うメディアの中では強いポジションがあって、様々な案件に携わり経験を積むことができました。
その後、電子マネー﹁BitCash﹂を扱うビットキャッシュという会社に転職します。よく間違えられるんですが、ビットコインのような暗号通貨とはまったく違う会社です。20年前にプリペイド型の電子マネーという今となってはレガシーなシステムをつくって、その仕組みをベースに20年も事業が続いている、ある意味すごく優秀な会社です。
ただ、キャッシュレスが話題なように電子マネーや決済の業界自体はどんどん先に進んでいく。もうレガシーなビジネスモデルに依存しているままでやってるいると駄目だから、新規事業としてe-Sportsをやるぞ! という話になったそうなんです。
電子マネーのよくあるユースケースの一つがオンラインゲームでの課金なんです。そして、オンラインゲームの中から欧米ではe-Sportsと呼ばれる分野が盛り上がってきた。それが﹁BitCash﹂という事業にもシナジーできるかもしれないとなった。それで新規にWebメディアを立ち上げて、情報発信して、そこでマネタイズして行きたいという話をいただいて、ナターシャからビットキャッシュに移り、e-Sports専門メディア﹁SHIBUYA GAME﹂の立ち上げや運営を中心に、イベントやコンサルティングなどe-Sports関連の業務を丸3年ぐらいやってきたというのが直近の経歴です。
──e-Sportsの専門メディアって日本だとまだ全然少なくて。その中で﹁SHIBUYA GAME﹂はすごくかっこいいサイトだったんですけど。急に閉鎖してしまうという出来事がありました。今回の座談会をやろうというきっかけの1つにもなっています。
尾田さん、宮脇さんはWebメディア業界の中でもベテランというか重鎮だと思うのですが──いつごろからメディアを仕事にしているのでしょうか。
尾田 90年後半ぐらいから、シンコーミュージックという音楽出版社で雑誌の編集をやっていました。そのあとはフリーになったり、MTV Japanという音楽チャンネルで働くことになって。そこで雑誌だけではなく、Webメディアや、テレビ番組やイベントの制作にも携わっていくことになります。
その後に複数のWebメディアを運営するメディアジーンに入りました。そして﹁ギズモード・ジャパン﹂と﹁ライフハッカー﹇日本版﹈﹂﹁Kotaku﹂﹁ROOMIE﹂というWebメディアで編集長を歴任しまして、そこからより本格的にWebメディアに関わるようになっていきましたね。
そこからサイバーエージェントに転職して、﹁SILLY﹂というメディアの編集長になって運営していたんですが、2017年2月に﹁SILLY﹂がなくなってしまう。そしてまたメディアジーンに戻りました。現在は﹁ギズモード・ジャパン﹂と﹁ROOMIE﹂と﹁FUZE﹂という媒体の事業統括プロデューサーという立場で、3つのメディアを観ています。
──﹁SILLY﹂はめちゃくちゃ尖ったストリート系のメディアで、いまでも名前をよく聞きます。﹁事業統括プロデューサー﹂とは具体的に何をされるんですか。
尾田 メディア運営のサポートというか、コンテンツからお金周りまで、何でも屋さんみたいな感じですよ。
石川 メディアの編集長たちを従えつつ、その局長みたいな感じですかね。
尾田 まさにそういう感じです。
──つまり、めちゃくちゃ偉いということですね。
朽木 分かりやすい︵笑︶。
尾田 そんなことないです︵笑︶。
宮脇 僕も尾田さんと同じように雑誌出身です。25年ほど前、京都の同朋舎という出版社の子会社から﹃WIRED﹄という雑誌が出まして、今まで何度も休刊したり復刊したりしているんですけれども。現在はコンデナスト・ジャパンから刊行されていますね。
僕は日本版﹃WIRED﹄の初期といえる1994〜1998年の間の、最後の1年半ほど携わっていました。1年間だけ学生アルバイトをして、他にちゃんとした就職先も決まってたんですけど﹁残る?﹂みたいなこと言われて、楽しかったから残って続けていたら、その半年後に会社があっさりと潰れた︵笑︶。次に﹃floor﹄というダンスミュージック/クラブカルチャーを紹介する雑誌があって、そこに転職するんですが、そこも半年後に解散になって、新卒1年目で2回も編集部や会社がなくなる事態を経験しました︵笑︶。
──いきなり壮絶すぎるキャリアですね。
宮脇 それで仕方がないからフリーライターになりますという感じで、ありがたいことに5年半ぐらいは普通に続けることができていました。でも続けていくうちに自分はライターじゃなくて編集者タイプだなと思って、編集プロダクション・有限会社ノオトを2004年7月に立ち上げ、15年が過ぎました。
事業自体は時代によって少しずつ変わってきて、最初はインターネットの仕事にプラスして、雑誌の編集や執筆もやっていた。そして2011〜2012年ぐらいから、オウンドメディア案件が急激に増えていった。それからはひたすらいろんな企業と一緒にゼロからメディアをつくったり、既存メディアのコンテンツを制作したり、企画会議をして伸ばしていくみたいなコンサルティング業務のようなこともやっています。
ノオトは優秀な編集者が育って、卒業して、また育ててみたいな繰り返しで︵笑︶。離職率はとても低いんですけどね。
朽木 自分で言うことじゃないけど、たまたま抜けた人が目立ったりするから辞めてる感があるけど、あまり辞めてないですよね。
宮脇 朽木がいた頃は播磨谷︵拓巳︶もいて。彼もBuzzFeed Japanを経て﹃週刊文春﹄に行ったよね。他にもBuzzFeed Japanに行って、また転職したり。
──ノオト出身の編集者や記者は非常に多くの場所で名前をお聞きします。人材の育成や輩出を含めて、Webメディア業界を長く制作という観点から支えてきたという認識です。
宮脇 別に制作をコツコツやっている会社はたくさんあると思うんですけどね。あんまり名前を出していないのかもしれない。若い会社もたくさん出てきている。それこそ朽木がいたころのLIGさんとかね。
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