一部で﹁萌え絵﹂が槍玉に挙げられているのだが、どうも萌え絵とポルノを混同してるような言論が目立つ。萌え文化ともいえるある種のサブカルチャーで育ってきた人間としては看過しがたい言説である。
そこで萌え絵とポルノが無関係であることを示すために、少し萌え絵の成立というものを振り返って見ることにしようと思う。
萌え絵と少女漫画とオタク
ちょうど Wikipedia に﹁萌え絵の特徴﹂というセクションがあるのでそのリストをまずは引用してみよう。
●目と目の間隔が実際の人間よりかなり広い︵ヒトの黄金比美人であれば目の間隔はおお-よそ目一個分を少し上回る程度)
●角膜︵虹彩︶が非常に大きく縦長
●瞳の色が、青・緑・赤・紫など、自然のままの健康な現実の人間ではあり得ない色
●鼻は点だけという事が多く、鼻梁は描かれない
●口は小さめで、閉じているときは目の数分の一のサイズ。現実には口は目より大きい
●著しく退化した顎。
●胴体に比べ頭部が非常に大きい
●筋肉と骨格が希薄
●肩幅が頭部とほぼ同じ長さで著しく狭い︵これは頭部が大きいことが関係する︶
●額よりも後退した口元や顎先の横顔
●平面的な顔面︵これを3次元で再現した場合、当然Eラインは形成できないはずであるが、﹁萌え絵﹂では横顔になったときに限り、額と鼻と顎が正常にあるように描かれる︶
萌え絵 - Wikipedia
さて、このような特徴を持ち合わせていたら﹁萌え絵﹂と判断してよいのだろうか。答えは否である。同様の特徴を持つ絵に少女漫画の絵柄がある。
それもそのはず、萌え絵の源流は少女漫画にあるからだ。
そもそもいわゆる﹁オタク﹂と呼ばれる人たちというのは、男性でありながら少女漫画を読む人たちであった。彼らが﹁オタク﹂と呼ばれるようになった1980年代の日本は2015年を迎える現代日本よりもはるかにジェンダー圧力が厳しく、﹁少女漫画を読む男﹂はそれだけで﹁気持ち悪い存在﹂として忌み嫌われていた。こうした現象は何も日本だけでなく、アメリカでも同様に﹁少女向けアニメを見る男児﹂や﹁少年向け映画を見る女児﹂がイジメの対象になっている。
●ReadMe!Girls!の日記・雑記: マイリトルポニーファンであったためイジメにあった少年が自殺未遂で重症。その少年を救うための募金活動の話
●﹃スター・ウォーズ﹄好きでいじめられた女の子のため、ファン立ち上がる - シネマトゥデイ
それぞれ2014年、2015年の話である。
一方日本では、﹁電車男﹂(2004年)を境に﹁オタク﹂と呼ばれる存在の見直しが起き、長らく続く不景気もあいまって﹁気持ち悪い存在﹂から﹁たくさんお金を払ってくれる存在﹂へと昇格し始めた。
そんなタイミングで放映が始まった﹁プリキュア﹂シリーズ(2004年〜)は、最初から本来のターゲット層である幼児から小学生の女児だけでなく、10〜30代男性をもメインターゲットのひとつとして始まり、10年以上の長期シリーズとして盤石のヒットを飛ばしている。
プリキュアの対象年齢はガチで20代〜30代の大きなお友達だったことが発覚 | マイナビニュース
こうした経緯を経てきた現代日本では、さすがにプリキュア好きの少年が自殺に追い込まれるほど厳しいジェンダー圧力は無いのではあるまいか。
さてこのように男性オタクは少女漫画を好んできたとすれば、また彼らに向けて特化した少女漫画風の絵柄というものが確立してきたことは想像に難くない。そう、それが萌え絵なのである。
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萌え絵の成立
1980年代、劇画ブームを経て日本の漫画の絵は劇的に進化を始めた。手塚治虫の得意としてきた絵柄は当時のディズニーそのものであったが、その手塚治虫ですら劇画の影響を受けていた。劇画ブームが過ぎた日本の漫画はビジネスとしても軌道に乗り、﹁少年漫画にはかわいいヒロイン﹂が求められるようになってきた。
ところでこの時代の漫画家はまだ黎明期を脱したばかりであり、黎明期に活躍した初期の漫画家たちがまだまだ活躍していた時代でもあった。そうした漫画家たちは未文化の漫画業界の中で、少女向けの漫画を描き、﹁かわいい女の子﹂と認識される絵を描きこなしていた。
おそらくだが、そうした絵の確立に、少女漫画が掲載されていた少女雑誌に掲載されたイラストの影響は小さくないと思われる。
●古い少女雑誌のイラスト世界 - Togetterまとめ
こうした﹁大きな目で描かれたかわいい女の子﹂というのはいつ頃成立したのだろうか。実は明治期の少女雑誌にその源流を見ることができる。
雑誌の表紙絵の少女像、その瞳は明治から大正、昭和にかけ徐々に大きくなっています。なぜでしょうか?
明治38年11月号の﹁少女界﹂の表紙絵。少女の目は、線や点でシンプルに描かれています。江戸時代以来の美人画の伝統を受け継いだ顔です。
大正5年2月号﹁新少女大﹂。正時代、竹久夢二の描く少女像が登場。初めて瞳が開き、瞳の輝きが描かれています。語りかけてきそうな、生き生きとした表情が生まれました。
大正15年2月号﹁少女画報﹂。夢二の後、大きな瞳が主流になります。高畠華宵︵たかばたけかしょう︶の描く少女は、大きな二重まぶた。白めが強調され、あでやかさが特徴です。
昭和14年4月号﹁少女の友﹂。瞳は、昭和に入ると極端な大きさになります。中原淳一の絵です。大きな瞳が支持された背景には、当時、自由な発言ができなかった少女たちが目で自分の意思を伝えたい、という自己表現への思いが反映されている、と評論家の上笙一郎氏は語ります。
file148 ﹁少女雑誌﹂|NHK 鑑賞マニュアル 美の壺
竹久夢二や中原淳一といった明治から昭和にかけての少女雑誌のイラストレイターたち。彼らが江戸以前の美人画を脱して﹁大きな目﹂と﹁輝く瞳﹂の少女像を、日本の少女たちに向けて描き始めたのである。おそらくこうした背景には西洋から入ってきた人形の目の影響などもあるのであろう。
こうした少女雑誌の絵柄の影響をおそらくは受け、手塚治虫はじめ黎明期の漫画家たちは少女漫画というジャンルを確立させていく。掲載誌も少女雑誌から少女漫画専門誌へと移っていった。
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2016年2月5日追記
この﹁輝く瞳﹂に関してだが、重要な人物が抜けていた。手塚治虫と同時期に少女雑誌に少女漫画を描き始めた高橋真琴である。
手持ちの資料が不足してて断言はできないのだが、どうも瞳を輝かせるために星を描いたのは高橋真琴のようである。高橋真琴は少女漫画の絵柄の基礎を作った人物と言っていいはずである。
(追記終わり)
こうした少女漫画の絵柄は、1980年ごろに当時のオタク(という呼称はまだ無かったが)たちによって少年漫画へと導入されていく。
アオイホノオの7巻だったと思うが、作者の島本和彦の投影である焔燃が﹁かわいい女の子が描けないなら少女漫画の絵をパクってくればいい﹂と開き直るシーンがある。このように考えた漫画家志望者たちが多かったのか、この頃にデビューした男性漫画家には明らかに少女漫画の絵柄に影響を受けた人たちが目立っていた。例えば矢野健太郎や新谷かおるなどであり、もちろん島本和彦も含まれる。
漫画におけるこうした少女漫画の絵柄と少年漫画の絵柄との融合は、おそらく﹁3x3EYES(1987年)﹂の高田祐三が完成させたのではなかろうか。彼もまた少女漫画家志望者であった。もしそうであれば、その後の萌え絵の源流はもしかしたら高田祐三に辿り着けるのかもしれない。
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萌え絵はポルノではなく、脱ポルノ
以上のように、萌え絵の起源は少女雑誌であり、行き着いた先は脱ポルノである。またよく言われるような性的モノ化ではなく、絵というモノに人格と物語を与えるヒト化でもあることがお分かりいただけるだろう。この他ライトノベルと呼ばれるジャンルにおける挿絵や80年代ロリコンブーム、宮崎アニメにおけるペドフィリア的特性にも言及したかったのだがタイミングがなかった。
こうした萌え絵の脱ポルノの歴史を踏まえずポルノで利用されてきたシーンを誇張するから村上隆のフィギュアはたいへん嫌われるのである。もちろん商業的にポルノ的側面を誇張した萌え絵作品も現代においても存在する。だが萌え絵の本質的なあり方ではない。
萌え絵は少女雑誌から来て、ただの絵に人格をもたらしたある種の﹁人間の再生﹂なのである。
追記
わかりにくいとの指摘があったので画像を追加しました。適切な引用元が見つからないのでAmazonの画像だらけになっちゃいましたが……。