世界大百科事典(旧版)内のポン・ヌフの言及
【アンリ[4世]】より
…こうして絶対王政の基礎を築く一方,1600年にはマリー・ド・メディシスと再婚,翌年王太子ルイを得た。04年,セーヌ川最初の石橋ポン・ヌフも完成,治世は繁栄に向かうと見えたが,旧教徒ラバイヤックF.Ravaillacによって暗殺された。ユグノー戦争【林田 伸一】。…
【シテ[島]】より
… 18世紀のシテ島の景観は次のように変化していた。西端には1607年に完成のポン・ヌフ橋が威容を示し,それに隣接するかつての〈王の牧場〉には,アンリ4世の構想になるドフィーヌ広場が建設された。パレ・ド・ジュスティスとノートル・ダム大聖堂の間には貧民街が形成されていた。…
【橋】より
…しかし,ルネサンス時代が深まると,多少の装飾は見られるものの,石造アーチは簡潔な姿に戻る。1604年完成のパリ,セーヌ川のヌフ橋(ポン・ヌフPont Neuf)はその代表的な例である。棒状部材を組み立てたトラスは,このころイタリアのA.パラディオにより考案されたが,実際に初のトラス橋をつくったのは1757年,スイスの大工グルベンマン兄弟Hans Ulrick & Johannes Grubenmannで,彼らはその後もライン川に支間100mを超す木造トラス橋を架けている。…
【パリ】より
※「ポン・ヌフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」